けっして妥協してはならない

覚えておきなさい
けっして妥協してはならない
妥協は、私のヴィジョン全体に
完全に反している

人々を見てごらん──彼らは惨めだ
それは、あらゆる点で妥協しているからだ

しかも彼らはその妥協ゆえに
自分を
許すことができない

彼らはあえて挑むことができたこと
を知っている

だが自分から臆病者であることを
証明してしまった

自分で堕落したことがわかって
自尊心を失ってしまった
妥協とは、そのような結果を生み出すものだ

なぜ、人は妥協しなければならない?
失うものが何かあるかね?

この短い生をできるかぎり全面的に
生きなさい

極端に走ることを恐れてはならない
全面的である以上に極端にはなれない─
それが最終ラインだ

そして妥協しないことだ
マインド全体が妥協の肩を持つだろう
なぜなら私たちはそのように育てられ、
条件付けられてきたからだ

「妥協」とは
私たちのことばのなかで、
もっとも醜いことばのひとつだ

それは
「あなたも半分、私も半分
 私も半分で満足するから、
 あなたも半分で満足しなさい」
ということを意味する

だが、なぜ?
全部を受け取れるというのに─

あなたもこのケーキを食べることがで き
その権利があるというのに──
なぜ妥協する!

いま少しの勇気、いま少しの大胆さだ
しかも、それは最初だけだ……

一度でも、妥協しないことの美しさ
それがもたらす尊厳、誠実さと個人性を
体験すれば

あなたは生まれて初めて自分が根づき
自分の中心に基づいて生きていると感じる

ゴールド・ナゲッツ

Oshoの辞書には「妥協」という言葉はないようです。

彼の生き方がそれを教えてくれています。

Oshoほどトータルにすべてを生きた人を他に知りません。

この短い生をできるかぎり
全面的に生きなさい
極端に走ることを恐れてはならない
全面的である以上に極端にはなれない─
それが最終ラインだ

全面的に生きるとは、妥協しない人生でもあるのだということをOshoは教えてくれています。

ひとたび妥協してしまうと、自分を堕落させ、自尊心を失わせるような結果を生み出してしまうって怖いですよね。

自分の中心に基づいて生きているとき、妥協はないってことですね。