峠のわが家

「わが家」と聞くと、あなたはどこを思い出すでしょう?

どこにあなたのわが家はありますか?

あなたのマイホームでしょうか?

愛する家族の住む家でしょうか?

あるいは子供時代に過ごした、思い出の家でしょうか?

「わが家」と聞くと、「峠のわが家」という歌が思い出されます。

原題は「Home on the Range」でthe Rangeは山脈とか連山という意味がありますが、放牧場ないし牧場という意味があります。「この地」あるいは「平原」と理解するべきだという説もあります。

というのは、この歌詞は、1870年代初めにカンザス州スミス郡に住むブリュースター・M・ヒグリー(Brewster M. Higley)が書いた「西部の我が家」(”My Western Home”)という詩からのもので、歌詞の内容を見ると、特にバッファローがうろつく所は平原であり、作者が居たカンザス州は大平原で山と呼ばれる所や、峠は皆無だからだというのです。 

この歌は、入植者やカウボーイらによって歌われ、様々な形でアメリカ中に広まり、1947年にはカンザス州の州歌に指定され、フランクリン・ルーズベルト大統領の愛唱歌としても有名です。

Oh, give me a home, where the buffalo roam
Where the deer and the antelope play
Where seldom is heard a discouraging word
And the skies are not cloudy all day.

我が家の周りではバッファローがうろつき
鹿やアンテロープがたわむれる
落胆の言葉はめったに聞かれず
空は一日中雲一つなく晴れ渡る

(コーラス)
Home, home on the range
Where the deer and the antelope play
Where seldom is heard a discouraging word
And the skies are not cloudy all day.

鹿やアンテロープがたわむれる
落胆の言葉はめったに聞かれず
空は一日中雲一つなく晴れ渡る
そんな地にわが家を持ちたい

ところが日本の歌になると、ふるさとを思い出すような歌詞になっています。

アメリカ民謡
(日本語詞1:久野静夫)

1 空青く山は緑 谷間には花咲き
  幼い日ひとり遊ぶ 懐かしのあの家
  (コーラス*)
   ああ我が家 峠の我が家
   楽しい日 悲しい時
   思い出のあの家

龍田和夫訳詞(1)/岩谷時子訳詞(2)・アメリカ民謡

龍田和夫訳詞
空は青く 緑の野辺(のべ)
なつかしの わが窓
悲しみも 憂(うれ)いもなき
ほほえみの わが家
おお ふるさと
耳になれし ことば
むれ遊ぶ ひつじのむれ
晴れわたる この空

岩谷時子訳詞

あの山を いつか越えて
帰ろうよ わが家へ
この胸に 今日も浮かぶ
ふるさとの 家路よ
ああ わが家よ
日の光かがやく
草の道 歌いながら
ふるさとへ帰ろう

これを見ると、訳詞ってなんだろう?
一体どこの歌詞を訳したんだろうって思います。

とはいえ、最近は「超訳」というのが流行っていて、シドニーシェルダンの小説でもニーチェでも「超訳」で読む時代なので、日本ではやる歌にするには、バッファローの歌ではこのようには流行らなかったでしょう。

やっぱり、「わが家」というのは、それぞれのお国柄があるのでしょうし、それぞれの心に描くわが家があるのでしょう。

いずれにしろ、これらのわが家は、理想のわが家であったり、思い出のわが家を歌っています。

でも同時に、それは「理想」であったり「思い出」であったり、それぞれの心の中の心象風景を歌っているともいえます。

ある意味、それぞれが勝手に「わが家」というようなものを妄想しているのです。

歌詞からして、もともと「峠」などはなくそこは平原だし、アメリカの歌詞ではバッファローがうろついていたのが、日本の歌詞ではひつじの群れのいるふるさとになっているのですから、それらは妄想の世界でしかありません。

Oshoは端的に言います。

自らの内側に見いださないかぎり
わが家はない

ゴールド・ナゲッツ」 by Osho

どこか、外側にわが家はない。
わが家は自らの内側にある、と。

外側を妄想していても、そこにはわが家はない。
わが家は内側にあるのだ、ということです。

外側のわが家は、うつろいやすいものです。
愛する人や家族がいても、
その人が病気になったり、死に直面することもあります。
それが愛する人たちであるほど、それは苦しみや悩みにもなります。

それでは内側にあるわが家とはどのようなものなのでしょう?
そもそも内側とはどこなのでしょうか?

それは意識の多重構造マップで見ると、物質的な世界、肉体や思考や感情のさらに内側に入ったところに見いだすことができるものです。

▼【意識の多重構造マップ】の中心です。

禅語に「直指人心 見性成仏」という言葉があります。
わが家とはまさに、内側に見出される「見性成仏」なのです。

坐禅は大変だという人には、ハート瞑想という方法が日常生活でも簡単にできる瞑想があります。

内側にわが家を見つけてください。
それに出会ったとき、そのわが家がどのようなものであるかがわかるでしょう。