Oshoの少年時代から青年時代かけての人生が映画になりました。
Oshoは子供時代、素朴な質問と人生の本質的な質問をまわりの大人になげかけて、大人たちを困らせていました。
青年時代は、大人たちや世間の欺瞞を容赦なくあばく反逆児でした。
そしてその彼の真摯な探求の疑問に答えられる人は誰もおらず、すべての希望を失い、絶望の暗闇を体験します。
ある日、彼は決心します。
「私の生を終らせるか、答えを見いだすかだ」
ついに彼は答えを見いだします。
悟りによって変容をとげた彼は、その悟りの香りを世界に伝えるようになっていくのです。
「反逆の花」(Rebellious Flower) とはOshoのことで、その反逆の花が花開いている物語が、彼の子供時代のエピソードをもとに、豊かで美しいインドの風景を背景に織りなされる物語です。
英語の字幕を簡単に翻訳したものを書いておきますね。
「おばぁちゃん、どうしてマインドは質問ばっかりしつづけるの?」
(彼は子供の頃は祖父母のところに預けられて、育てられています)
「なのにどうして、マインドは正しい答えを得られないの?」
「息子よ(son)、正しい答えを得られるまで、問いつづけるのを止めちゃダメよ」
(あれ、sonってことはお母さんか?)
「最後には、いつか、問いつづけることで質問に打ち勝つ時がくるわ」
「どうして聖者はひげと髪の毛をのばしているの?」
「あなたは地獄を見たことがあるの? 神様に会ったことがあるの?」
「おじいちゃん 仏陀はニルヴァーナを達成したって言われているね。ニルヴァーナってなんなの?」
「私の狂気は増し、質問も膨れ上がっていった」
「ときには 自分の答えを求めて、スーフィーの人たちのところを尋ねた」
「そしてときには、サドゥ(放浪する修行者)のグループの人たちと行動をともにした」
「私は究極の秘密を理解しようと試みた」
「しかし、彼らの死んだ言葉には、答えはなかった」
「彼らは話すだろう・・・彼らは説明するだろう・・・彼らは見せるだろう・・・」
「ババ、私はあなたより若い。どうして、あなたは私の足に触れるのですか?」
(ババ、というのは聖者などを呼ぶ敬称。足に触れるのは、マスターの足下に触れるという意味)
「あなたへの敬意の印だ。悟りを得るものへの敬意の印だ」
「その人生、その神秘家の旅は、流れる川の詩だ。そして彼の洞察は、流れる水の歌だ。」
「母親よ 今からちょうど一ヶ月後に、私はラジャ(彼)をバラット(インドの地名)への旅に連れて行きたい」
「これから先は おまえは、ひとりで歩むのだ」
「黄金の未来がおまえを待っている」
「私は、そのいくつかを理解することができた」
「しかし、底の知れない、多くの秘密があった」
「ゆっくりと、ひとつづつ、私の疑問は、私へと戻りはじめた」
「私はすべての希望を失った」
「ある日、私は決心した。私の生を終らせるか、答えを見いだすかだ」
「おまえは変容をとげた」
「おまえの顔の輝きがそのことをすべて物語っている」
「おまえの目には、永遠の平安が映し出されている」
「行って、あなたの至福と知恵を、全世界へと降り注ぎなさい」
映画の中で、Oshoの人生で最も影響を与えた場面のひとつ、おじいさんが亡くなる場面のYouTube動画があります。
↑のリンクより動画が見れます。
今日はここまでとします。
えたに