アダムとイブのようにはじめなさい

ここでは最初の人間のように振る舞いなさい。

「ここでは」とは、アメリカのオレゴンにあったコミューンのことです。

このOshoの椅子を見ると、おそらくこの講話はアメリカにあったコミューンで話されたものです。

インドのアシュラムを1980年に離れ、
Oshoの持病であった腰痛の治療のため、
アメリカに渡りました。

その後3年以上、沈黙の期間に入り、
講話などをすることはなくなっていました。

再び一般の人々の前で講話することはないだろうとも言われていました。

それがある日、突然、Oshoが講話を始めたという話が舞い込みました。

それを聞いて、Oshoに会うためにアメリカまで飛んで行った、のがはじめてのOshoとの出会いでした。

当時のアメリカの大統領はレーガン大統領。
ごりごりのキリスト教原理主義的な人でした。

そんなところで、
以前 そこには聖職者はいなかった
以前 そこには宗教はなかった
あなたは堕落させられてはいなかった
駄目にされてはいなかった
きれいだった

と話したわけです。

つまり、聖職者、
キリスト教という宗教が、
人を堕落させ、駄目にし、
きれいではなく、してしまった

と言っているわけです。

そういう既成概念を落とし、
このコミューンの中では
最初の人間のように振る舞いなさい。

そしてそれを生きる指針としなさい、
というふうに話しています。

その講話をお聞きください。

ここでは最初の人間のように振る舞いなさい

私が人類に抱く全ヴィジョンとは
完全に生き生きとして 
強烈に生き生きとして
生が可能にするすべてを楽しむこと
優雅さと存在への感謝をもって
楽しむことだ

そしてそれが 
自分を愛するということの意味だ

それが意味するのは 
あなたは拒否や抑圧といった
宗教的なガラクタすべてを
投げ捨てたということだ

あなたは宗教が与えてきた
あらゆるアイデアを落とした

あなたは いまや 
自分で立っている
あたかもあなたが 
アダムとイブであるかのように

以前 そこには聖職者はいなかった
以前 そこには宗教はなかった
あなたは堕落させられてはいなかった
駄目にされてはいなかった
きれいだった

アダムとイブのようにはじめさない
そのアイデアについて考えてごらん

なぜ 過去にこだわる?
忘れてしまいなさい
あなたは最初の人間だ
      Osho

続きは、Oshoからお聞きください。

今日はここまでとします。

えたに