ひとりであることと孤独であること

人はまだ

<ひとりであることaloneness>
の美しさを学び知ってはいない

人は何らかの関係性
誰か──友達、父親、妻、夫、子供─
とともにいることをつねに追い求めている
誰かとともにいることを……

人は社交界をつくった
さまざまなクラブ—-ライオンズ・クラブ、
ロータリー・クラブをつくった

政治的、思想的な団体をつくった
宗教、教会をつくった

だが、それらすべてが
根本的に求めているのは
何とかして自分が独りであることを
忘れたいということだ

あなたは多くの群衆と関わることによって
暗闇のなかで突然、思い出すこと──
自分はひとりで生まれ、ひとりで死に

何をするにしてもひとりで
生きるということを

忘れようとしている

ひとりであることは
あなたの実存にとって非常に本質的なことだ
それを避ける途はない

ゴールド・ナゲッツ

ひとりであることと孤独であることの違いをOshoはここで語っています。

「ひとりであること」というのは
Oshoは英語では “aloneness” という言葉を使っています。
「孤独」は” lonelhess “という言葉をOshoは使っています。

「ひとりであること」は美しいとOshoは語ります。
そして「ひとりであること」は実存にとって本質的なものであり、
避けることはできない、と。

自分はひとりで生まれ、ひとりで死ぬ

ひとりであることはあなたの実存にとって
非常に本質的なことだ
それを避ける途はない

このように、「ひとりである」というのはどういう状態なのでしょうか?

そのヒントは次のOshoの言葉に示されています。

ひとりであることは、
まさに完成を意味する

あなたは完全だ自分を完成させるために、
ほかの誰も必要としていない

だから
あなたのもっとも内奥にある中心を
見つけようとしてごらん

それは「ひとりであること」は
もっとも内奥にある中心だということを言っています。

そしてそのひとりであることは
どういう状態なのかというと、次のように語っています。

そこであなたはつねにひとりだ
今までもつねにひとりだった
生において、死において、どこにいてもあなたはひとりだ

だが、それはあまりにも満ち足りている──
空虚ではない──

つまり、ひとりであることは

あまりにも満ち足りている──
空虚ではない──
 と。

しかし、人々は「ひとりであること」と「孤独」
であることを混同してしまっています。

そして、孤独であることを恐れて避けようとしています。
そのことについてOshoは次のように語っています。

く孤独を避けるための試みは
すべて失敗に終わった
そして、これからも失敗するだろう
なぜなら、それは生の根本に反するからだ

必要なことは、自分の孤独を
忘れさせてくれる何かではない

必要なことは、ひとりであることへの自覚だ─
ひとりであること、それはリアリティだ

それを体験し
それを感じることは非常に素晴らしい
なぜなら、それは群衆からの、
他者からの自由だからだ

それは寂しさの恐怖から解放されることだ

「寂しい」ということばだけでも
すぐに何か傷のようなもの
それを満たすために何かが必要だ
ということをあなたは想起する

それは隙間だ
それは痛む

それを埋めるための何かが必要だ
「ひとりであること」─
そのことば自体には
ある種の傷──
埋めなければならない隙間と
いうような感覚はない

ひとりであることは、まさに完成を意味する
あなたは完全だ
自分を完成させるために、ほかの誰も
必要としていない

だから
あなたのもっとも内奥にある中心を
見つけようとしてごらん

そこであなたはつねにひとりだ
今までもつねにひとりだった
生において、死において、どこにいても
あなたはひとりだ

だが、それはあまりにも満ち足りている──
空虚ではない──

あまりにも満ち足り、あまりにも完璧であり
生のあらゆる豊潤さ
そして存在のすべての美と祝福に満ち溢れている

だから、一度自分がひとりだと
いうことを味わえば

ハートの痛みは消えてゆく

その代わりに途方もない甘露─
穏やかさ─
喜び─
至福による新しいリズムがそこにある

それはひとりであることに
中心を持っている人─

自分を完成した人が友人を持てない
という意味ではない

事実、そのような人だけが
友人を持つことができる

なぜなら―、それはもはや欲求ではなく
まさに分かち合うことだからだ

その人はあまりにも多くを持っている
だから分かち合うことができる

ゴールド・ナゲッツ

この「ひとりであること」「孤独」の違いは、

ユニティインスティチュートの「意識の多重構造マップ」を
見ることでよく分かるようになります。

意識の多重構造マップ

簡単にいえば「ひとりであること」は
この意識の多重構造マップの中心にいるときに得られる感覚です。

そして「孤独」は意識の多重構造マップの表層のマインドにいるときの状態です。

表層のマインドの意識では、一人ひとりが分離している状態ですので、
競争と比較で頭がいっぱいになっているので、まわりはみな敵であり、
世界は敵であり、自分の生存のためには戦い、争い、
奪わなければ、生き残ることはできません。
必然的に孤独の中にいることになります。

この意識の多重構造マップの中心では、
すべてがつながっています。
愛があります、慈愛や信頼があります。

そこはすべてが充たされている場です。
中心では、ひとりでありながらも宇宙ともひとつであり、
すべてとつながっている感覚があります。

つまり、ひとりであることと孤独との違いは、
意識の多重構造の中で、表層の意識での「孤独」なのか、
中心ないし本質の層での意識での「ひとり」なのかということの違いになります。

そしてその中心ないし本質の層につながる方法のひとつがハート瞑想です。