セックスは死の分割払いだ

セックスは生の始まり──
死は同じ生の終わりだ

だから、ふたつはひとつのエネルギーの両端──
ひとつのエネルギーの両極だ

ふたつを切り離すことはできない
セックスは、いわば死の分割払いだ
そして死は、セックスの一括払いだ

だが両端で機能している
ひとつのエネルギーがあることは確かだ

ゴールド・ナゲッツ

セックスと死はひとつのエネルギーの両端で、
セックスは、死の分割払いだ

なんていうことが言えるのはOSHOぐらいなものでしょう。

こういうことは、頭で考えて得られるような発想ではありません。

まさに生と死についての実存的理解からしか言えないように思います。

これはまさに生と死をエネルギー的な視点からとらえることができるから言えるのであって、そのような視点を得て人生を見ると、生と死が全く異なって見えてきます。

そしてまた、セックスの体験についても、これまでとは違った次元が加わります。

生と死についての理解の仕方がまったく違ってきます。

これまでわからなかったようなことも、このひとことで氷解したりもします。

もしセックスと死が同じエネルギーであるならば、死のある一瞥を、セックスを通して体験することも可能だということにも気づきます。

カマキリはちょうどセックスの最中に、メスがオスを食べてしまうのだそうです。

オスがオーガズムを感じているその瞬間にオスは食べられてしまうんですよ。

まさにセックスと死が隣り合わせというわけです。

生というのは神秘です。

死も神秘です。

「生をあきらめ、死をあきらめるは仏家一大事の因縁なり
 生死の中に仏あれば生死なし」

というのは道元の修証義の最初に出てくる言葉です。

難解な言葉が羅列されているようですが、生と死は「ひとつのエネルギーの両極」だ、といえば、すべてがそれで理解されてしまうようにも思われます。

「但生死すなわち涅槃と心得て
 生死として厭うべきもなく
 涅槃として欣うべきもなし
 このとき初めて生死を離るる分あり
 但一大事因縁と究尽すべし」

この難しい言葉も、生と死はただひとつにエネルギーなんだ、ということがわかれば、このひとことで解明してしまいます。

それにしても「セックスは いわば死の分割払いだ

ってすごい言葉だな、と思います。

なぜそのようにいえるのか?

それはまた別の機会にご紹介しましょう。

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