災難に見舞われたとき
あなたはあるがままの現実に気づく
現実はつねに壊れやすい
誰もがつねに危険に直面している
普段,あなたはただ眠っているにすぎない
だから、その危険に気づかない
あなたは来たる日々や未来について
素晴らしいことを想像し、夢を見つづける
危険がさし迫った瞬間
突然あなたは
未来などないかもしれない
明日はないかもしれない
この瞬間が自分にとって唯一の瞬間なのだと
気づく災難のときは非常に啓示的だ
それは世界に何ひとつ新しいものをもたらさない
ただ、あるがままの世界に気づかせる
あなたを目醒めさせる
それを理解しなければ
あなたは狂気に見舞われるだろう
理解すれば覚醒できる
心配しても何の足しにもならない
なぜなら、この瞬間を逃すばかりで
誰ひとり助けることができないからだ
だから、これが危険を乗り越えるため
の秘訣だその秘訣とは──
死が触れることのできない何かを
自分の内側に見いだすために
もっと全面的に
もっと全一に
もっと気づいて生きることを始めなさい
それこそが
ただひとつの避難所
ただひとつの安全
ただひとつの安心だ
だから、すべてをいかに使うかということだ
何であれ、正しく使いなさい
災難は素晴らしい
危険は素晴らしい
だが、それがもたらす機会もまた素晴らしい
災難は突然やってきます。
その災難に見舞われたとき、現実に気づきます。その現実とは、明日はない、未来はない、ということです。
危険がさし迫った瞬間
突然あなたは
未来などないかもしれない
明日はないかもしれない
これは絶対的な真実です。
私がその災難に見舞われたのは5年前の3月のことでした。
突然意識を失って倒れたらしいのです。
遠くから名前を呼ぶ声に意識が呼び戻されて、身体に戻ったと思ったと同時に大量の吐血。
気がつくと救急隊員が担架を近くにまで運んできて、そこに身を横たえさせられたのです。
意識だけははっきりとしていたものの、脱力感がひどくて身体を動かすエネルギーはなく、救急車で病院に運び込まれ、そのまま緊急手術。
意識はあったので、手術室に運び込まれる前に、医師が手術に当たっての輸血の同意を求めて、輸血の危険性を読み上げます。
輸血にともなう肝炎の感染の危険性やエイズ感染の危険性など。。。
そんなのはかなわないから首を横に振ると「命を保障できない」と言うのです。
「それなら聞くな」と思うんだけれども、要するに選択肢はない、ということらしいので「勝手にしてください、任せますので」と答えるしかありませんでした。
どうやら胃の血管が破れて出血多量。出血箇所を防ぐ手術をして、輸血の必要あり、ということのようでした。手首を切って自殺する人がいますが、その出血箇所が胃の中だったようで、
放置されていれば今頃はあの世だったでしょう。出血に痛みはなかったので、出血多量で死ぬだけなら結構安楽死なんだなということがわかりましたが、
いかにこの世に生きているということがはかないいものかということも同時にわかりました。
私たちは大地を踏みしめて歩くがのことく、あたりまえに生きていますが、
実は湖の薄氷の上を歩いているのと同じで、いつその薄氷が割れて、あの世に行ってしまうかはわからないのです。
それが現実です。
その現実に対して、私たちは何ができるのでしょう?
これが危険を乗り越えるための秘訣だ
その秘訣とは──
死が触れることのできない何かを自分の内側に見いだすために
もっと全面的に
もっと全一に
もっと気づいて生きることを始めなさい
死が触れることのできない何か、とはなんでしょうか?
私が退院後にとった行動は、まさしく
もっと全面的に
もっと全一に
もっと気づいて生きること
でした。
それは、ヨーロッパ5000キロを自転車で走ることでした。
実は1年前からその予定をしていて、そのツアーに申し込んでいたのです。
なぜ申し込んだかというと、あるとき突然「死ぬまでにおもいきり馬鹿げたことをしたい」と思ったからでした。
そのツアーがはじまるのは5月の終わりからで、入院したのは3月中旬のこと。
その時点でツアーへの参加はあきらめて、不参加を申し出たのでしたが、
なんと主催者からは「せっかくなんだから、おいでよ」とのことでした。
もちろん医師をはじめてとして、全員反対の中で私がとった行動は、参加することでした。もともとが「死ぬまでに思い切り馬鹿げたことをしたい」という思いで申し込んだのに、
死にそうだから参加しない、というのは筋が通らない。
「どうせ死ぬなら、今死んでも悔いのないようにするには参加するしかない。
だめだったら途中で棄権すればいいのだし」と思い、そこで家族にも会社にも「死んだと思ってあきらめて」という遺言を残して参加することに。
その結果、生涯でかけがえのない友人たちに恵まれ、二度とできない経験をすることができました。
ポルトガルからスペインのピレネー山脈を越えてフランスの地中海にでて、地中海に沿って走り、
モナコを通ってイタリアに入り、ローマからアペニン山脈を超えてベニスに抜けて、そこからアルプスを超えてオーストリア、
ドイツを通ってスイスのチューリヒまでの5000キロを自転車をこいで走りました。
気温は日中のポルトガル、スペインの45度からピレネーやアルプスの峠は雪の積もる0度まで。
まさに、その日その日が体力的にも死との隣り合わせのような毎日でした。
はからずも「もっと全面的に、もっと全一に、もっと気づいて生きる」日々となったのです。
病気を理由に参加しないことは簡単だったけれども、でもその危険を冒して得ることができたものは思い切り馬鹿なことを命をかけて共にすることのできた、生涯でかけがえのない友情と経験でした。
災難は素晴らしい
危険は素晴らしい
だが、それがもたらす機会もまた素晴らしい
どんな災難や困難があろうとも、この瞬間は自分にとって唯一の瞬間なのですから、
それがもたらすチャレンジを、素晴らしい機会として楽しみたいものです。