OSHOのウルグァイでの日常生活
OSHOがふだん、どんなふうにすごしているのか、ということはごく身近にその様子を見ていた人にしかわかりません。そんな日常の一端がここでは書かれています。 ウルグァイではプンタ・デル・エステという「南米のリビエラ」と呼ばれ…
OSHOがふだん、どんなふうにすごしているのか、ということはごく身近にその様子を見ていた人にしかわかりません。そんな日常の一端がここでは書かれています。 ウルグァイではプンタ・デル・エステという「南米のリビエラ」と呼ばれ…
ウルグァイってどこにあるかご存知ですか? 多くの国から入局拒否をされ、OSHOが向かった先はウルグァイでした。ギリシャのアテネを行き先もなく飛び立って2週間後のことです。訪問を予定していなかった国も含めて21カ国がOSH…
OSHOのワールドツアーで明らかになったこと。それは次のOSHOの言葉に集約されています。 「なんの権力ももたないたったひとりの人間が、世界最大の権力をおびやかし、 それを根元まで揺さぶることができたということだ」 OS…
母国のインドに帰っても、アメリカはインドに圧力をかけ、OSHOの弟子たちがOSHOに会えないようにしようとしました。 そこでネパールに拠点を探しましたが、ネパールの国王はOSHOのファンでしたが、これもアメリカ、インドの…
OSHOのワールドツアーでは、ギリシャを飛行機で飛び立ったものの、その時点ではまだ行き先もわからない状況でした。 それからのできごとは、他の人たちも知るすべもなく、OSHOとは音信不通となってしまいます。 その間、OSH…
この瞬間にあることは、マインドにはできません。 マインドにできるのは、考えることであったり、外側のものごとに対処することです。内なる探求においてはマインドは役には立ちません。 マインドは心理的な分析や解釈はできますが、さ…
OSHOとはいつも会えるとは限りません。 そして会える人たちは限られています。 OSHOは1981年アメリカに渡る前に沈黙に入り、側近の人たち以外と話すことはなく、それもさえも限られていて、1985年に話しはじめるまでの…
前回、警官たちがOSHOの滞在していた別荘地に乱入し、OSHOの居間にまで突入した様子を少し書きました。 OSHOはそのような状況にあっても、全く影響されることなく、ゆったりと落ち着いています。 OSHOを暴力的に椅子か…
シュンニョの事故の2日後、突如として警察官たちがOSHOの滞在していた別荘先に乱入して、OSHOを逮捕して連行しようとします。 それがどうしてなのかは分かりません。 警察署長も何らかの命令でそのように指示されてのことなの…
端的にいうと、このOshoの講話はセックスの方法についてです。 先日、友人から「Oshoはセックスについてどういうふうに言っているの?」と聞かれて、「それはOshoのブログで紹介しているから、そのURLを教えるね」と言っ…