マニーシャの悟りの体験
マニーシャは、あるとき、朝のOshoの講話を聞いているときに悟りの体験を得ます。 ひょっとして、瞑想していたり、Oshoの講話を聴いたり、読んでいたりしていて、そういう悟りを得てしまったようなときには参考になるかもしれな…
マニーシャは、あるとき、朝のOshoの講話を聞いているときに悟りの体験を得ます。 ひょっとして、瞑想していたり、Oshoの講話を聴いたり、読んでいたりしていて、そういう悟りを得てしまったようなときには参考になるかもしれな…
マニーシャは、もっとも長くOshoの身近にいた人の一人で、Oshoから直接瞑想の指導を受け、Oshoの講話を聴いているときに「悟り」の体験をしているひとです。 そのマニーシャが来日して、死を超えていくための瞑想のワークシ…
私たちは、死に対するさまざまな思い込みと偏見の中に生きています。 死は未知なるものであり、神秘なものとして、ただ単に興味深い現象として見ることができません。 死は未知なるものなんだから、楽しいものと見ることもできるはずな…
「和尚との至高の瞬間」 マ • プレム • マニーシャ この本はシュンニョと同じようにOshoの身近な弟子であり、Oshoの言葉を記録し、編集し、ときにはOshoに自ら質問をしたり、Oshoへの弟子からの質問を読み上げ…
今回で「和尚と過ごしたダイヤモンドの日々」のシリーズも 終わりになります。 この本は8月を持って絶版になりますので、シュンニョが 体験したOSHOの全容を知りたい方はぜひ買って読んでくださいね。 神保町の書泉グラン…
OSHOは臨終の際にジャエッシュに 「あなたがたに私の夢を残してゆくよ」 という言葉を残して肉体を去っていきました。 ジャエッシュはOSHOの右腕として、 瞑想リゾートの実務的なものごとの運営 を担当していた人です…
「和尚と過ごしたダイヤモンドの日々」 この本は絶版になっています。 シュンニョが体験したOshoの全容はこの本に書かれています。 このブログで紹介するのはそのごく一部です。 さて、今回はその本の中から、Osh…
OSHOは1931年12月11日、インドのマディア・プラデッシュ州クチワダに生まれました。 幼少のときの名前は ラジニーシ ・チャンドラ ・モハン と名づけられました。1953年3月21日、21歳にして究極の覚醒を得ます…
人格者というと、日本語では道徳的にすぐれた人や人格的にみてすぐれた人のことをいいます。そもそもその人格(パーソナリティ)という言葉のもともとの語源をたどると、ギリシャ劇でかぶる仮面(ペルソナ)のことをいうようです。つまり…
OSHOとともにいて起こる現象というのは、はかり知れないものがあります。 それをOSHOは「光明を得た人という現象」というふうに言っています。 まさに神秘だとしかいいようがありません。 そのOSHOとともにいることは、ま…