マインドは条件付け以外の何ものでもない

私たちは同じ世界に住んでいるようでいて、全く異なった世界に住んでいるように思うことが良くあります。

この同じ現実に住んでいても、人間が見ている世界の見方と、犬や猫が見ている世界、昆虫が見ている世界、コウモリが見ている世界は全く違った世界です。

なぜなら、視覚や聴覚、臭覚などの感覚が全く異なっているからです。

犬や猫やコウモリなどは、私たちが見ることができないものを見、聞くことができない音を聴き、匂うことができない匂いを嗅いでいます。

しかし同じ人間であっても、やはり見ている世界は異なっているようです。

それは、私たちは世界を私たちの解釈を通して見ているからです。

解釈が異なれば、同じものを見ても、ものの見方が違ってきます。

よく使われる例ですが、水が半分入っているコップを見て、半分しか水がないとみるのか、半分も水が入っていると考えるかで、同じコップの水でも見方が違っています。

同じ人を見るのでも、その人への偏見の違いによって、悪魔に見えたり聖者に見えたりもします。

さらには、偏見や思い込みが強いと、盲点が生じて、実際にあるものでも見えなかったりもします。

例えば、信じられないよう派な話ですが、初めて日本の港に黒船があらわれたとき、それまで船のようなものを見たことがなかったので、その黒船が見えなかった人たちがいたといいます。

目の前にあっても、それまで見たことがないものだったりすると、目に入らなかったりします。

私たちはマインドという色メガネをかけてものごとを見ています。
その色メガネがなく、物事をあるがままに見ることができることを、悟りと言います。

そのマインドの色メガネが外れてものごとを見たとき、
宋時代の詩人、蘇東坡が歌に詠み、
禅で悟りを得た境地を表す言葉として、

花は紅 柳は緑 真面目(しんめんもく)」
という言葉があります。

そのとき、世界はあるがままに存在し、あるがままに美しいのです。

あなたは世界をあるがままには見ていない
マインドがあなたに強要するように見ている

そして、それは世界中いたるところで目にすることができる
さまざまな人々が、さまざまな方法で条件付けを受けている

マインドは条件付け以外の何ものでもない
人々は自分自身の条件付けに基づいてものごとを見るーー
その条件付けは一種の色づけだ

私たちは区別をする
ある人は優れている ある人は劣っている
男性は強く, 女性は弱い
ある人は賢く、ある人はそうではない
ーーと い う 具 合 に ーー

多くの民族が
自分たちこそ神に選ばれた民族だと主張してきた

すべての宗教が
自らの経典こそ
神自身によって記されたものだと主張している

これらすべてが幾重にも層を重ねて
あなたのマインドを形成する

マインド全体を脇に置き
世界を自らの意識で
直接、即座に見ることができないかぎり
真実を見極めることはできない

この世界における最大の勇気は
マインドを脇に置くことだ

もっとも勇敢な人とは
マインドの障壁なしに
世界をあるがままに見ることができる人だ

そのとき世界はまったく異なっている
完璧に美しい

誰ひとり劣っている者はいない
誰ひとり優れている者はいない
そこには何の区別も存在しない

ゴールド・ナゲッツ