Oshoの怠惰さ

私自身がとても怠惰なので、このOshoの怠惰のエピソードにはとても共鳴します。

私もジョティと同じく、Oshoが学生の寄宿舎時代に、ベッドを部屋の入り口のすぐそばに置いていて、部屋に帰ってくるとそのベッドに飛び乗り、それ以外の部屋のスペースは使うことが全くなかった、という、このOshoの話が大好きです。

Oshoは愛読書の全てをベッドの周りや下に置いていて、部屋に入っても、ベッド以外の場所を使わなかったらしいのです。

そういえば私も学生時代、似たようなことをしていました。

下宿時代に、四畳半の和室だったのですが、布団をいちいち押入れから布団を出して敷くのが面倒なので、押入れの上の段に布団を敷きっぱなしにして、押入れがベッドでした。

当時自炊もしていたのですが、試験前は食事を作るのが面倒で、大きな鍋にハウスバーモンドカレーに玉ねぎと人参とジャガイモをぶち込んだカレーを1週間分作り溜めて、朝昼晩、1週間そのカレーだけ食べたこともありました。

さすがにこれはやりすぎたみたいで、その後1年ほど、カレーを見るのも嫌で、カレーを食べたくなくなりました。

1日外出していて、自宅に帰ってソファーに横になると一歩も動きたくありません。
手の届くところに読みたい本があって、ソファーに横になって読みたい本を読むのは極楽です。

それが自分にとっては最高に便利な環境なのですが、同居人がいるとそういうことは許されないようです。

というわけで、同居人が秘書になってくれるわけでもなく、自分の怠惰さにいつも罪悪感を抱かせられる毎日です。

「でも、Oshoだって、怠惰だったんだから」というのは心のなかでつぶやくのが慰みです。

それはともかく、

Oshoは1974年にプネに移ってから、朝晩の2時間の講話とダルシャン以外には自分の部屋から出ることはなかったようです。
毎日10冊ほどの読書をして、弟子をはじめとする多くの人々の手紙や質問に答え、指導し、60年の生涯で600百冊以上の書籍を残しています。
怠け者ではとてもできないことです。

それではジョティの語る、Oshoの話をお楽しみください。

ジョティは語ります。

「 今回、Oshoと一緒にアーメダバードにやって来ました。

ここでOshoはバガヴァッド・ギータの講話シリーズを語っています。

Oshoは朝の講話の後、午前11時半から昼食を取り、それから二時間ほど休憩します。

私はOshoの寝室の扉のそばで、椅子の上に座ってガードを始めました。夏の暑い午後です。

とっても眠くなってきて、うとうとし始めました。
眠気を追いやるために本を読み始め、何とかそこに座ってOshoにどんな邪魔も入らないようにしました。

午後2時、Oshoが部屋から出てきてバスルームヘと向かいました。

私はOshoのためにお茶を用意しました。

まもなくすれば、Oshoと個人的に会うために人びとが訪れます。

カップにお茶を注いでいると、Oshoが「私の秘書として働くつもりはないかね?」と聞きました。

Oshoの秘書をするなんて想像を超えています。

何も考えずに「Osho、自分でも秘書が必要なくらいなんですよ」とだけ答えると、Oshoから笑いが返ってきました。

更に「ひどい怠け者なんです。自分の面倒も見れないんです」と言うと、Oshoが「私の怠惰さに比べたら君のは無に等しい」と言いました。

そしてOshoの怠惰さにまつわるたくさんのエピソードを話し始めました。

Oshoが作り話をしているように感じたので、そう言うと、Oshoは「いいや、いいや、全て事実だ」と言いました。

私がとっても気に入っているのは、Oshoが学生で寄宿舎に住んでいたときに、ベッドを部屋の扉のすぐそばに置いていた話です。

Oshoは部屋の扉を開けるやいなや、真っ先にそのベッドに飛び乗ったそうです。
愛読書の全てがベッドの周りや下に置かれていて、それ以外の部屋のスペースは使うことが全くなかったそうです。

このOshoの話を楽しんで聞きました。そのおかげで怠け者であることへの罪悪感から開放されました。」

一万人のブッダたちへの百話

 

今日はここまでにします。

えたに