自分はこの世になんのために生まれてきたのか?
私は誰? ここはどこ?
私はどこから来て、どこに行くのだろう?
これらの問いは、誰しも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
「コウノトリが運んできたのよ」なんていう子供だましの答えでは満足できず、ついには人生の究極の問いとして、
「父母未生以前の本来の面目如何!」
という禅の公案にまでなっています。
父と母が生まれる前の本来の自己とは?
禅公案でも初級の公案だそうで、夏目漱石もこの公案に取り組んだとか。
Oshoはこの問いを「自らの実存の真実を知る」ことだと語っています。
なぜ禅では悟りを得ることを重視するのでしょうか?
どうして仏陀は、自らの体験としての悟りを、誰も理解できないと思いながらも、人々に伝えることを決意したのでしょうか?
どうしてOshoは瞑想を伝えるために、これほど多くの言葉を残したのでしょうか?
なぜ宇宙は私たちという人間をこの世に生じさせたのでしょうか?
その答えがここにあります。
自らの実存の真実を知らないかぎり
生の大いなる祝福を感じることはできない
自分が存在するという単純な事実に
喜び溢れることはけっしてできない
真実を体験できなければ
この広大無辺な宇宙とつながることはできない
ーそれはあなたの家だー
宇宙はあなたに生を授け
あなたが意識の究極の頂点に成長することを
大いに期待している
なぜなら、
存在はあなたを通して目覚めることができるからだ
それ以外に方法はない