瞑想は研究でもあり、その実践は、実験室のようなものです。
普通は研究というと、外側で生じているさまざまな現象を観察し、実験し、科学的に検証していきますが、瞑想はそれを自分の内側の世界についておこないます。
真実を探し求める探求者も、
研究室で実験する科学者のように、
いかに自分自身に対して働きかけていかなくてはならない
とOshoが説明しているように、瞑想者は研究室で実験する科学者的なところがあります。
その昔、インドのヨーギ(ヨガの修行者)がその内側のエネルギーの観察に基づいてチャクラを発見したのも、そのような内側の研究のひとつでもあったのでしょう。
それはともかく、瞑想者の働きかける対象は自分自身であり、そこではひとりで作業をし、自分自身に対して忍耐強くなくてはなりません。
しかもジョティが書いているように、忍耐力も必要とされます。
実は、ジョティが今回説明している瞑想は私も昔、しばらく試みていたことがあります。
この瞑想では、ベッドに横たわり、体をリラックスさせ目を閉じて、内側から、意識がいわゆる目醒めの状態から眠りの状態に移行していく過程を見守ります。
私がこの瞑想をしようと思ったのは、Oshoが仏陀の話をしている時に、「仏陀は眠っている時にも醒めている」という話をしているのを聞いて、そういうことが可能なのかを自分なりに試してみたかったからです。
結果はジョティと同じで、一度も成功はしませんでした。
ですが、自分が眠っているという状態に気づきながら眠っているということはあります。
たまに「自分がいびきをかいて眠っている」っていうのに気づいていながら眠っていたり、眠りから醒めて来るまえに、意識が戻ってくるのに気づいたりはします。
でもそれはごく眠りが浅くなっている時です。
瞑想しながら眠ってしまっている時には、眠っている状態には気づきやすいですが、眠ってしまっているので、瞑想ではなくなっています。
ただそのことに気づいている意識がある点では、完全には眠ってはいないとは言えますが、眠っていることに気づいている意識はまだそこに残っているわけです。
私は無呼吸症候群のけがあって、昼間でも突然意識がなくなって眠ってしまうこともよくあるのですが(ナルコレプシーっていうんだそうです)、そういうときには気づいてられません。
今は無くなりましたが、金縛り、というのもある種、眠っているときに意識が戻るような現象の一種なのかもしれません。
それはともかく、Oshoは「眠りの直前に考えていたことは、眠りが覚めるときに、その同じ思考が継続している」ということも話しているのを聞いたことがあります。そういうことにも気づくようにはなっていきます。
その原理から、「眠るまえに瞑想しながら眠れば、その瞑想は眠っている間も続く」ということをOshoが語っているのを聞いたので、その瞑想を試してみたりとかもしていたりもしました。
Oshoが語っているように、
「私はあなたがたのように恵まれてはいなかった。
私にはマスターはいなかったから、
ひとりで働きかけなくてはならなかった。
あなたがたには導いてくれるマスターがいて幸運だ」
そういう意味では、瞑想をする人にとってはOshoというマスターがいてくれることは実にラッキーなことです。
私は毎月鎌倉で瞑想会を開催していますが、そういうさまざまなOshoの瞑想を一緒に実験したりすることもあります。
瞑想は最終的には一人でするものですが、フェロートラベラー(旅の仲間)として、一緒に瞑想を研究し、実践する仲間を持つということも、瞑想を続け、深めていくための助けになります。
そしてジョティのような人たちが、Oshoとともに過ごし、瞑想を実践し、そのときのOshoから身近に聞いた言葉をこのように伝えてくれることも、瞑想を実践している人々にとっては宝物です。
それでは、「一万人のブッダたちへの百話」より、「瞑想の研究室」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
「 もう一方の瞑想は夜寝る前にしています。
この瞑想では、ベッドに横たわり、体をリラックスさせ目を閉じて、内側から、意識がいわゆる目醒めの状態から眠りの状態に移行していく過程を見守ります。
いかに眠りが乗っ取っていくのかを見守り続けなくてはなりません。
この瞑想法を3カ月間続けても一度もうまくいったためしがありません。
朝起きては眠りに入る地点を見逃したことに気づくばかりです。
それでも素晴らしいことがひとつ起こりました。
夢を見始めると必ず思考の過程が始まったことに気づき、目が覚めるようになったのです。
このことをOshoに話しました。
Oshoは
「それもまた素晴らしい成果だ。
寝ているときに夢の始まりに目を覚ますことができるようになれば、
いわゆる起きている状態のときでも同じことができる」
と。
この瞑想法を続けるように言いました。
そして真実を探し求める探求者も、研究室で実験する科学者のように、いかに自分自身に対して働きかけていかなくてはならないかを説明しました。
私たち探求者の研究室は内側です。
そこではひとりで作業をし、自分自身に対して忍耐強くなくてはなりません。
それは着ている服を脱ぎ捨てるような簡単なことではなく、どちらかと言えば、自分の身体の皮を剥がしていくような作業です。
それから一瞬の沈黙の後、Oshoは
「私はあなたがたのように恵まれてはいなかった。
私にはマスターはいなかったから、
ひとりで働きかけなくてはならなかった。
あなたがたには導いてくれるマスターがいて幸運だ」
私の深刻な様子に気がついたOshoは笑って言いました
「決して瞑想に対して深刻にならないこと。
そうではなく、誠実で遊びに満ちていなさい。
何かを達成するためにするのではなく、
ただ楽しみなさい」。
私は、慈悲しか知らない、Oshoの愛で溢れたハートの沈黙から解き放たれてくる、Oshoのことばに耳を傾けました。」
今日はここまでにします。
えたに