今回はちょっと長いお話です。
このOshoがみんなに語って聞かせた「願い事をかなえてくれる木の下で座りながら、それに気づいていなかった、ある男の物語」」はOshoタロットに書かれてある逸話です。
このOshoタロットは、Oshoが語った様々な逸話をタロットカードにしたもので、私はある時期、毎日その英語で書かれたタロットを引いて楽しんでいた時期があります。
ここで語られる物語は、そのOshoタロットの中でも好きな物語のひとつです。
でもそれは、こんなOshoのエピソードとともに語られると、この逸話って、実は私たちが日常過ごしていることの中にもいっぱいあるんではなかろうか、ということに気づかされます。
「私と一緒にいるときには、自分が何を欲しているのかに気をつけていなくてはならない」
という教訓として語られたこの物語は、ある意味、自分の人生を形成している物語だとも思うのです。
というのは、私たちの人生は、自分で気づく気づかないにかかわらず、自分の欲望によって作られているように思うことがあるからです。
「こんな出来事が自分に起こるなんて、自分はそんなことを決して望んでもいない」と思うようなことでも、でもよくよく自分の内側を覗き込んでみると、実はどこかでそれを望んでいたことかもしれないのです。
そして自分でも気づかないうちに、そのようなことが起こるような行動を取っていたりもします。
「自分の欲望に覚めていること」というのは、自分の人生を見つめる上での大きな鍵のように思われます。
なぜなら、自分の人生で起こる出来事は、自分の欲望が作り出していることかもしれないからです。
このジョティの本には、あまりにも不思議すぎるのでこのブログでは紹介しなかったような不思議なお話も書かれてあります。
Oshoはどこまで物事を見通しているのか、信じられないほどです。
不思議なことや奇跡的なことについては、どちらかといえば否定的で、そのようなことには関わらないようにと話すことの多いOshoです。
でもジョティの話を読んでいると、Oshoの周りには、ごく普通のことのようでいて、不思議な出来事に満ちていたことがわかります。
それでは、「一万人のブッダたちへの百話」より、「自分の欲望に醒めていなさい」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
「ナルゴールで行われていた瞑想キャンプが終わりました。車でボンベイに戻る準備の整った友人が4人います。
車を使うとボンベイまで6、7時間ほどで行きます。Oshoもまた車に乗っていくことに同意しました。
その4人全員がOshoを自分の車に乗せたがっています。このことをOshoに報告したところ、Oshoは「それは困った。誰の車に乗っていっても他の3人は不愉快だろう。汽車を利用すべきだった」と言って、どの車にOshoが乗るのかは私たちの判断にまかせました。
私は4人に「これからの6時間、どの車ならOshoに一番居心地よく旅をしてもらえるのかを考えてみよう」と問いかけました。
新車のフィアットに皆の意見が一致しました。
朝の7時に、4台の車全てが準備を終えました。Oshoはトーストとお茶の朝食を済ませた後、部屋から出てきて、ナマステの挨拶をしながら皆が選んだフィアットの後部座席に乗り込みました。
フィアットの持ち主の友人は助手席に乗り込みました。それ以外の私たちは皆、Oshoに別れの挨拶をするために一列に並びました。
運転手がエンジンをかけると、Oshoは手を振って皆に別れの挨拶をしました。2、3分後にOshoが乗る車はすっかりと視界から消えました。
誰もが残りの車の席を取るために駆け出しました。私が乗っている車は、Oshoの車に追いつこうと心を決めた友人の運転で、もの凄いスピードで走っています。
目の前を行く車を次々と追い越していきます。30分程走った後、遠方で道路際の木の下に車が一台止まっていて、その横でOshoが立っているのが見えてきました。
友人にスピードを落として、何が起こったのかを知るために車を止めるように言いました。
2、3分ほどでその場所に着いた私たちは、車が故障したことを知りました。運転手は修理工を探しに行ってしまいました。
私は自分の席から降りて、Oshoに座るように言いました。Oshoはかなり疲れている様子です。周辺の空気には埃と排気ガスがたち込めています。
Oshoは私の勧めに同意し、次の車に乗ってくるようにと私に言いました。友人はOshoを乗せることになって大喜びです。私は目の前を行き交う何百という車を見ながら道路際で立っていました。
次に私が乗った車が来るまでに10分ほどかかりました。それでもこの10分間は私にとって永遠のように感じられ、へとへとに疲れていました。
友人たちに起こった事の次第を話すと、誰もが間違った車を選んでしまったからだと考えました。疲労感がひどく出てきて、目を閉じるとあっという間に眠っていました。
車が急ブレーキをかける衝撃で目を覚ましました。私は目の前の光景が信じられませんでした。
Oshoが道路際の本の下に立っているのです。そんなはずはないと思い、瞼をこすってみました。夢ではありませんでした。
2台目の車も故障してしまったのです。再び車から降りてOshoに席を譲りました。
ボンベイにはまるでゲームをしているかのように何度も車を替えながら、なんとか全員到着しました。
その夜、皆でOshoに会っているときに、友人のひとりが旅の途中で起きた車の故障について話し始めました。
Oshoは
「かわいそうな車のせいにしないように。
全ては、私を自分の車に乗せたいというあなた方の欲望が引き起こしたのだ。
私と一緒にいるときには、自分が何を欲しているのかに気をつけていなくてはならない」
それからOshoは、願い事をかなえてくれる木の下で座りながら、それに気づいていなかった、ある男の物語を語ってくれました。
腹の減ったその男がおいしい料理が食べたいと思うと、すぐにそれが目の前に現れた。あまりに空腹な男はその料理が降ってわいたように現れたことを考えもしないで心ゆくまで食べた。
そして眠くなってきたので、寝心地の良いベッドが欲しいと思うと瞬時にベッドも現れた。
男はベッドに横たわり、どうなっているのだろうと思いを巡らせた。
間夜が広がって、森の中にひとりぼっちでいることが怖くなり、ライオンが出てきて自分を殺してしまうかもしれないと考えた。この最後の欲望もかなえられた。ライオンは現れ、男を殺した。
Oshoは物語の最高の語り手です。誰もがこの物語をOshoの手のジェスチャーを目で追いながら大いに笑って楽しみました。
それからOshoはこう加えました。
「きわめて形而上学的な物語だが、
それには深い意味がある。
だから私の周りにいるときには、
自分の欲望に醒めていなさい」
今日はここまでにします。
えたに