ジョディが経理の仕事を20年間もしていたとは、この本を読むまで知りませんでした。
実は、私はジョディのことを個人的に知っているのです。
彼女がジョディだと知ったのは、彼女が本を出版してからで、それ以前から名前も知らずに顔見知りで、毎年顔を合わしていたので、会うとお互い笑顔を交わしていたのです。
というのは彼女はプーナのOshoのコミューンの中にある本屋さんのレジをしていて、私はそのOshoの本屋さんの常連客で、1980年代の後半、毎年日本から行くたびに本やOshoのテープを多量に買い込んでいたので上得意客だったのです。
そんな間柄だったので、彼女が本を出版して、日本で久しぶりに会ったときも、旧知の友人に会ったように普通に話を交わしていました。
そんな彼女の本を、こんなふうに解説しているのも何か縁があるのかもしれません。
「Oshoへの愛という目に見えない糸が」私たちを結びつけているのでしょう。
それでは、「一万人のブッダたちへの百話」より、「数学と音楽と瞑想の関係」をお楽しみください。
ジョディは語ります。
「 プーナに滞在し続け、毎朝の講話でOshoの臨在のもとに座りながら至福を感じています。
Oshoの周りのコミューンは私の想像を超えて大きくなり、それ自体で小さな世界になりました。
世界中から人びとが集まっているのです。数百人の人びとがこれほどの調和のなかで、ともに生活し働いているのが信じられません。
他人の国籍や宗教を気にかける者は誰もいません。Oshoへの愛という目に見えない糸が、Oshoの周りのこの花輪を繋いでいるのです。
2、3日経って、ダルシャンに出てOshoと会いました。Oshoは素敵な銀製のパーカーペンを私に贈り、経理デパートメントを手伝うように言いました。
経理の仕事はもう20年間も外の世界でしてきました。うんざりです。
私が経理の仕事は気が進まないことを言うと、Oshoは笑って
「ここでは異なったものになる。
指先で遊ぶだけでゼロを経験できるのだからね。
あまり深刻にとらえないように」
と言いました。
Oshoは、3つのM
「Mathematics(数学)、Music (音楽)、 Meditation (瞑想)」について詳細に語りました。
私は目を大きく見開いて、じっとOshoのことを見つめながら一心に耳を傾けました。
音楽と瞑想と数学とが何か関わりがあるとは、私はこれまでに考えたことがありません。
Oshoが
「数学は頭、音楽はハート、そして瞑想はビーイングだ。
その3つが調和して働くときにすべてが遊びになる」
と語っているのを聞いていました。
私がおじぎをして足許に触れると、Oshoは私の頭に手を置いて「ベリー・グッド、ジョティ」と言いました。
私は起き上がり、歩いて自分の席に戻りました。そのころには重い気分からすっかり開放されて、経理デパートメントで指先で遊ぶ用意ができていました。」
今日はここまでにします。
えたに