チベットの死者の書

「チベットの死者の書」というのがあります。

「バルド・トドル」とも呼ばれ、チベット仏教ニンマ派の伝統で、生と死に関する深遠な教えが説かれている経典です。

臨終に際してラマ僧によってその枕元で49日間にわたって読み聞かされる経典でもあります。

現代社会では科学と物質主義によって失われてしまった、生と死に対する仏典に秘められら考え方がこの書には描かれています。

死者の魂が死んでからどのような旅をするのかが克明に描かれています。

そのお経をラマ僧が死者の枕元で読むことで、49日の間魂が迷って地獄に落ちないように、次の転生が良い人生となるように、死んでからの魂のための心得が語られるわけです。

日本では死んでから四十九日の間、1週間ごとにお坊さんが来てお経を読んでくれますが、この考え方からきているわけです。

しかし最近では、西洋でもホスピスなどでも、この考えを取り入れているところも出てきているようです。

さて、ここで昨日のブログの続き、Osho国際瞑想リゾートでの、マニーシャの「死の中への体験的探求」のコースのことに戻ります。

このコースは、マニーシャの死に関する4つのコースのシリーズのクライマックスとなるコースです。

日本で3年前から彼女のコースを日本でオーガナイズしてきていますが、このコースだけは特別なものなので、その準備とケアが大変なので、日本ではできないということだったのです。

そこで、彼女がOsho国際瞑想リゾートでそのコースが開催される時期に合わせて企画したのが、今回のツアーの企画の趣旨でした。

では、そのコースはどのような内容だったのか?

実は、その内容について語られることは許されていません。

なぜなら、そのコースで何をするかを教えてしまうと、次に受ける人が、そのコースについて先入観を持ってしまうからです。

そうすると、そこで本来得られるべき体験ができなくなってしまうからです。

なので、そのコースの内容については書けないのですが、そこでの自分の体験を述べることなら許されています。

とはいえ、ここで述べると長くなるので、またの機会に譲りますが、ひとことで簡単に言うと、このコースは、自分のこれまでの人生を意識的に見直す機会となりました。

今まで自分が行ってきたこと、後悔、人との出会い、別れ、それらについて直面していくことで、これからの人生についても、自分は本当は何をしたいのかが、より意識的に、クリアーになっていく機会になりました。

よく、人が死ぬ瞬間に、これまでの人生が走馬灯のように、一瞬のうちに思い浮かぶと言いますが、そのような感じです。

そしてまた、バルト・ドドルの49日を体験していく機会でもありました。生きているうちに、意識的に。

そういうことに気づくのは、死んでからでは遅いのです。
なぜなら、気付いた時には、もうやり直す時間は残っていないからです。

なので、その後悔や、やり残したことは、次の転生に持ち越してやり直さなければならないと言われています。それが転生の原理です。その人のやり残した思いが、次の生へと持ち越されるわけです。

最近は終活というのがはやっているようですが、この死ぬ前に死を体験するコースなどは、終活のプログラムの一つとして取り入れると良いのでは?と思います。

Oshoに次のように質問した人がいます。

もし私が自分の信念を落としたら、
死に直面するとき、
何にしがみついたらいいのでしょうか?

Oshoは次のように答えています。

死があなたの扉を叩くとき、
あなたの信念はすべて
消え失せるのが分かるだろう。

魂は不滅だという信念は、
死があなたの扉を叩くときには
助けにならない─ー

あなたは泣き叫び、
生にしがみつくことになる。

死がやって来るとき、
あなたは神のことなど、
すっかり忘れてしまうだろう。

死がやって来るとき、
あなたは生まれ変わりに関する理論―ー
そして、その複雑な意味合い─ー
を覚えてはいられない。

死があなたをノックするとき、
死は、あなたが自分の周りに
築き上げてきたあらゆる知識の構造を
ノックダウンしてしまう─

あなたは、一生を無駄に費やしてきたという気づきとともに、
完全な空しさの中に置き去りにされる。

「死についての 41の答え」 Osho

 

それでは今日も素敵な1日を!

えたに