意識的に死ぬということ

リバーシング(再誕生)という呼吸のテクニックがあります。

ブレスセラピー(ブレスワーク)という呼吸を使ったセラピーの一種です。

過呼吸に似た独特な呼吸をすることで、変性意識を作り出します。

そのセッションでは感情のカタルシスや深い瞑想状態を体験したり、神秘体験があったりします。

その中の経験の一つとして、子供時代の記憶や感情が浮上したり、出産時の体験にまで記憶が遡ったり、さらに遡って、生まれる前の胎内の時の記憶や過去生にまで記憶が遡ることがあります。

ブレスワークとは異なりますが、退行催眠による過去生への退行の記録がブライアン L ワイス博士によってなされたのが「前世療法」ですが、ブレスセッションでは、そのような退行催眠がなくとも、自然とそのような意識状態を体験したりもします。

呼吸は単に身体に酸素を取り入れるだけではなく、宇宙や体内に偏在しているプラーナや気、エネルギーとも関連しています。

感情とも深く関連していて、自分の感情をコントロールするために自分の呼吸をコントロールしていたりもします。

自分を感じなくしている人は、呼吸が浅くなっています。

ブレスワークでは、意識的に呼吸をしていくことで、そのような感情のブロックを解放したり、身体に蓄積されている身体の緊張を解放することができたりもします。

Oshoのダイナミック瞑想での第一ステージや第二ステージでの呼吸とカタルシスなどは、意図的にそのようなプロセスを促進する効果があります。

ブレスワークを始めた最初のころ、身体や感情のエネルギーのブロックや緊張があるときは、手足や顔がしびれたり、手足が勝手に動いたり、痙攣したりします。
また、幼少期の記憶や感情が蘇って来たり、過去の体験の中で十分に感じ取られることなく無意識に抑圧されてきた感情の解放が起こったりと、結構いろんな現象が起きたりします。

何度か続けているうちに、それらの滞っていたエネルギーが流れるようになり、表面的な層の解放を通り抜けていくに従って、深いリラクゼーションが起こり、さらに深い瞑想の意識へと入りやすくなっていきます。

意識がどこまでも広がっていき、宇宙と一体になったような体験や体がなくなってしまったように感じたり、呼吸が止まって死んでしまったような安らかな状態にいつまでも止まっているような感覚を味わったり、人によって様々な体験をします。

ある意味、吸う息は生を象徴し、吐く息は死を象徴します。
そしてその吸う息と吐く息のギャップには、生でも死でもない、生まれることも死ぬこともない、瞑想のスペースがあります。

それがただ観ていることが起こっているという体験であったりもします。

ブレスワークの面白いところは、ただ意識的に、ある特定の呼吸をしていくだけで、その人にとって必要なことや体験が起こっていくことです。

なぜこういうことを話したかというと、普通の瞑想をしていない状態でも、呼吸のテクニックによって引き起こされる変性意識状態では、死や再誕生の体験があったり、退行催眠などの無意識に深く働きかけるワークでもそのような体験が起こるという可能性を知っていただきたかったからです。

そして、深い瞑想の中でも、やはり同じような体験をしたりもします。

そして、さらに悟りを得た完全な覚醒した意識状態では、そのような死や再誕生ということについても、意識的に目覚めていることができるという可能性があるということです。

しかし、普通の意識状態では、死は無意識の中で起こります。死んでいく人は死を体験することはできず、死んだときには無意識になってしまいます。

それは私たちが眠るときに無意識になってしまうのと同じです。
死は眠りに似ていますが、さらに深い体験です。

そのような死の体験に醒めていることができるには、深い瞑想の中で、自分の肉体が意識とは別々だということを看過することができて初めて可能になります。

Oshoはその体験について、次のように語っています。

ひとりのブッダ(覚者)には
インサイダーの視界がきくのだ。
仏陀のような人が生まれるとき、
彼は完全に醒めて生まれてくる。
仏陀のような人が子宮にいるとき、
彼は醒めている

この生において、
死の瞬間に無意識におちいることなく、
完全に目覚めたまま
死ぬことができれば
あなたは完全に意識を保ち続ける。

死のあらゆる段階を全て
目の当たりにする。
一歩一歩、その足音を聞きながら、
しかも完全に覚めていて、
肉体が死んでいくこと、
マインドが消え失せていく
ことを見ている。

それでもなおかつ、
あなたは完全に覚めているのだ・・・

すると突然、
あなたは自分が肉体の中にはおらず、
意識は肉体を離れてしまっていることに気づく。
死んだ体はそこにあって、
あなたはその肉体のまわりを
浮遊しているのだ。

もし自分が死んでいく間も
覚めていることができたなら、
それはもう誕生の一部、
その一側面にほかならない。

もしこの側面について醒めていたならば、
自分が受胎されるところにも
醒めていられるだろう。

あなたはひと組みのカップルが
愛を交わしているまわりを浮かび漂って、
完全に醒めている。

そして、
完全に醒めたまま子宮の中にいる。
その子供は、何が起こっているのか
完全に醒めたまま受胎される。

母親の胎内で過ごす9ヶ月も、
あなたは醒めているだろう。

あなたが醒めているだけじゃない。
仏陀のような子どもが胎内にいると、
母親の質まで変わってくる。
彼女は以前よりももっと醒める・・・
母親は、たちまち意識が
変化するのを感じるだろう。」

Yoga: The Alpha and the Omega  Vol.4

ここでOshoが語っていることは、チベットの死者の書や、臨死体験や過去世の記憶のある子供たちの本など、さまざまな本を読めば同じようなことが書かれていますが、ここで語られていることのすごいところは、これはOshoが知っていること、つまり、Oshoが自らの体験として知っていることが語られているところです。

私たちはこれらのことを知識として知るわけなのですが、Oshoは自らの体験として知っているのです。

 

今日はここまでにします。

えたに