Oshoの肉体との別れ
Oshoが肉体を離れる2日前に、ブッダホールに現れ、最後の別れの挨拶をしています。 いつもはポーディアムと呼ばれているところに彼の椅子が置いてあって、そこに座って瞑想をガイドします。 しかしこの日は椅子に座ることなく、た…
Oshoが肉体を離れる2日前に、ブッダホールに現れ、最後の別れの挨拶をしています。 いつもはポーディアムと呼ばれているところに彼の椅子が置いてあって、そこに座って瞑想をガイドします。 しかしこの日は椅子に座ることなく、た…
マスターから弟子への伝達の方法には、さまざまな方法があります。 一般にマスターが弟子の眉間に指を当てて行うシャクティパットという方法が有名ですが、ただ、目を見ることだけで行うこともあります。 マスターが行うというよりも、…
Oshoが肉体を離れたのは、これらの一連のことがあった翌年の1990年1月19日。 Oshoはすでに自分の死期を悟って、着々とその準備をしていたようです。 ニルヴァーノはOshoの最も身近にいた弟子のひとりです。 それで…
今思い返せば、この時期にOshoがしていたことは、仕事の総仕上げだったのだということがわかります。 しかし、その渦中にいたときには、そんなにも早く私たちの元を去ってしまうわけがないという希望から、それを見ないようにしてい…
Oshoは1974年から1981年まで、インドのプーナ(プネ)に瞑想のためのアシュラムを作り、そこで講話をして、ダルシャンなどを行い弟子を受け入れていました。 その後アメリカに渡りましたが、その間1985年までは沈黙の期…
Oshoの第2期プーナの始まりです。 第1期のプーナは1974年からアメリカに渡る1981年までの7年間でした。 アメリカに渡って6年後に、再びもといた彼のプーナのコミューンに戻ってきたのです。 まさに、「Oshoの臨在…
1986年7月。Oshoはワールドツアーから再びインドに戻ってきました。 ちょうど30年前の出来事です。 このワールドツアーについては、シュンニョの「Oshoとのダイヤモンドの日々」に詳しく書かれています。 ここに書かれ…
Oshoは1980年にアメリカを去った後、1985年にインドに帰国します。 その一時的な滞在先は北インドのマナリでした。 そこでジョティは久しぶりにOshoに会うことができました。 そしてOshoから「プーナのコミューン…
ジョティはアメリカに渡ったOshoに会いに行きます。 アメリカでのOshoのことは、シュンニョの「Oshoとのダイヤモンドの日々」やマニーシャの「Oshoとの至高の瞬間」に詳しく語られています。 この時期、Oshoは沈黙…
ジョティのOshoと過ごした日々も、いよいよ終わりに近づいてきました。 Oshoのプーナでの時代が終わりを迎えようとしています。 1974年にボンベイからプーナに移り、アメリカに移るまでの7年間を、第1期のプーナと呼んで…