Oshoは1980年にアメリカを去った後、1985年にインドに帰国します。
その一時的な滞在先は北インドのマナリでした。
そこでジョティは久しぶりにOshoに会うことができました。
そしてOshoから「プーナのコミューンに行ってそこを手伝うように」言われます。
実際、その後ワールドツアーに出た後、その1年後にOshoはプーナに戻ることになり、第2期目のプーナ時代が始まるのです。
すでにこのとき、Oshoにはそのことがわかっていたかのようです。
それでは「一万人のブッダたちへの百話」より、「Oshoアメリカからインドに帰国」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
「 私がその次にOshoと会ったのは、Oshoがアメリカから帰国した、1985年12月の北インドのマナリでした。
Oshoはとても美しいホテルに滞在しています。このホテルは雪で覆われた山脈に囲まれていて、一晏手には美しい音を立てながら流れる、実に壮観な姿の川があります。マナリは神々の渓谷として知られています。
その環境全体が滋養に満ちています。Oshoは調子がかなり良さそうで、楽しんでいるようです。朝の10時30分に、2、3人の友人たちとOshoの部屋に入っていくと、Oshoはソファに座っていました。
私たちはOshoのそばのカ―ペットが敷かれている床の上に座りました。Oshoと肉体的に離れていたこの数年の空白が瞬く間に消え去りました。
Oshoはアメリカの刑務所に入れられていたときの話を私たちに語りました。その内容は私の腹のセンターに大きな衝撃を与えていました。
Oshoが体験したありとあらゆる痛みが私には感じられ、目から涙が静かにこぼれ落ちていました。
Oshoのこれから先の予定はまだ明らかではありません。Oshoの身の回りの世話をする、数人のサニヤシンたちだけがOshoと一緒に滞在し、それ以外の者はOshoを訪れることは許されても帰ります。
Oshoは私たちに、プーナのコミューンに行ってそこを手伝うように言いました。そして立ち上がりバスルームに行きました。
私たちは全員ハートを重くしてOshoの部屋を出ました。それから3日後、私たちは自分達の足で旅を続けるためにマナリを出ました。」
今日はここまでにします。
えたに