Oshoの暗殺未遂事件

ソクラテスは「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などの罪状で公開裁判にかけられる死刑に処せられました。

それは当時、賢人と呼ばれていた政治家や詩人達などの様々な人を次々に訪ね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」を検証するために対話を行なった結果、彼らの無知に対する無自覚ぶりを暴露することになり、それらの人々を敵に回すことになったからだと言われています。

ソクラテスが賢者であるという評判が広まる一方で、無知を指摘された人々やその関係者からは憎まれ、数多くの敵を作ることとなり、誹謗中傷も起こるようになったのです。

その結果裁判にかけられ毒殺されることになったのです。
しかしソクラテスの刑死の後、アテナイの人々は不当な裁判によってあまりにも偉大な人を殺してしまったと後悔し、告訴人たちを裁判抜きで処刑したと言われています。

キリストも磔刑に処せられました。

それは、ナザレのイエスが自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪によるものでした。

ユダヤの裁判にかけられた後、死刑の権限のないユダヤ人の指導者たちによって、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者として渡され、公開処刑の死刑である十字架に磔(はりつけ)になって処刑されたのです。(ウィキペディア)

アメリカではケネディ大統領が、彼の方針に反対する何ものかによって暗殺されています。

黒人公民権運動の指導者キング牧師も暗殺され、ジョン・レノンも暗殺されました。

インドではマハトマ・ガンジーも彼に反対する暴徒によって暗殺されました。

そしてOshoも最終的にはアメリカ政府によって、タリウムの毒を盛られて暗殺されたのです。

インドでも、彼の講話中に、彼に反対する人々の陰謀による暗殺未遂の事件がありました。

今回のジョティはその時の様子について書いています。

そのとき、Oshoは落ち着いた口調で、「その男に何もしないで連れ出すように」指示し、そのあと何事もなかったかのように、講話を続けました。

一万人のブッダたちへの百話

ジョティは語ります。

「 サニヤシンで溢れるブッダ・ホールでOshoがヒンディー語の講話をしています。

数人のビジターにホールの後部で座ることが許されています。

いつものように目を閉じて、Oshoのことばに耳を傾けていると、突然、ポーディアムの近くで金属のような物が落ちる音がしました。

Oshoが講話を中断しました。私は目を開いて周囲を見回しました。

しばらくの間、何が起こっているのか理解できないでいると、ポーディアムに近づこうとしながらOshoに向かってわめき立てている男を、2、3人のサニヤシンが取り押さえている様子が目に入りました。

Oshoは落ち着いた口調でそのサニヤシンたちに「何もしないように。ただ、その男をここから連れ出しなさい」と言いました。

しばらくの間沈黙が漂いました。男は外に連れ出され、Oshoは何事もなかったかのように講話を続けました。

その後、その男はナイフを投げつけてOshoを殺そうとしていた、だがナイフは誰も傷つけることなく、ポーディアムの手前で落ちたということを知りました。

数日後、私たちは、それはOshoを暗殺するために政治家と聖職者たちが仕掛けた陰謀であったことを知りました。

Oshoを殺そうとした男は何の罪も間われることなく釈放され、裁判は終わりました。」

今日はここまでにします。

えたに