Oshoが肉体を離れたのは、これらの一連のことがあった翌年の1990年1月19日。
Oshoはすでに自分の死期を悟って、着々とその準備をしていたようです。
ニルヴァーノはOshoの最も身近にいた弟子のひとりです。
それでは、「一万人のブッダたちへの百話」より、「Oshoが肉体を離れる1ヶ月前」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
「 1989年12月9日、ニルヴァーノの死のニュースを聞き、私はショックを受けました。
初期の講話のなかで、マスターがボディを離れるときにはマスターと深いつながりのある弟子たちは生き続けることはできない、ニルヴァーノはそういった弟子のひとりだとOshoが語っていたのを覚えています。
ニルヴァーノの死がOshoのボディに何らかの影響を与えたのではないかと私は思いを巡らせました。
1989年12月11日和尚のバースデイの日、私はあまりの悲しみからOshoに花束を贈ることさえしませんでした。
夜のダルシャンで、Oshoが皆に向かってナマステをしているときに、私のハートは大きな悲しみに打ちひしがれていました。
Oshoが私を見たときには、目から涙がOshoへのバースデイ・プレゼントのように流れました。
サットサングの間では、Oshoがエナジーを引いて私たちのもとから去っていく準備をしているように感じられました。
私のマインドはこうしたフィーリングを押しのけて「いいや、いいや。こんなに早くOshoは私たちのもとを去りはしない」と言いました。」
今日はここまでにします。
えたに