Oshoの言葉。
「瞑想とはまさしく、
ひとつのことをいかに
トータルにするかを学ぶための方法だ。
ひとたびあなたが学んで、
生のすべてが瞑想となったら、
瞑想のことはすべて忘れてしまいなさい。
生が唯一の法に、
唯一の瞑想になるにまかせることだ。
そうなれば、時間は消える」
Osho
生のすべてが瞑想となること。
ある意味、これができれば、
それこそが「ゾルバ・ザ・ブッダ」と言えるでしょう。
Oshoは、「瞑想とは24時間のものであるべきだ」というふうに語っているので、
生のすべてが瞑想となって、初めて本当に瞑想していると言えることになります。
では、ここでいう「瞑想」とはどういうことでしょう?
「ひとつのことをいかにトータルにするか」ということなのですが、
この「トータル」ということがキーワードです。
この言葉を知った最初の頃は「全力でやることだ」というふうに解釈していましたので、
例えば、ダイナミック瞑想などを「トータル」に、全力でやって、クタクタになることがトータルだと思っていました。
でもそれだと、24時間続けられない。。。
でもそこで、「トータル」の味わいを体験できました。
ようするに、それは「無心」でやるということです。
全力を出し切ってやっている時は、無心(ノーマインド)でものごとに打ち込んでいる時です。
スポーツなどではそれは「ゾーン」に入ると言ったりします。
あるいはランナーズハイのような状態だったりします。
あるいは、仕事などの領域では「フロー」という言い方が流行ったりしていました。
「フロー」というのは、瞑想状態でものごとが行われている状態で、心理学者のチクセントミハイによって提唱された概念です。
類語としては、英語では「ピークエクスペリメント」とか日本語では「無我の境地」とか、「忘我の境地」とかが近いです。
エゴが入り込まないでものごとを行っている状態と言えるでしょう。
それは「無為の為」とも言えますね。
「そうなったとき時間は消える」
というふうにOshoは語っていますが、
あっという間に時間が過ぎ去ってしまうわけですね。
今日はここまでとします。
えたに