今日はみなさんをOshoの図書館にご案内します。
Oshoの愛した本が、ところ狭しと収められている場所です。
Oshoが住んでいた場所は老子館(ラオツーハウス)と呼ばれていて、アシュラム(現 瞑想リゾート)のなかの一角にありました。
Oshoがワールドツアーのあと、ムンバイにしばらく滞在して1987年に以前に滞在していたプネのアシュラムに再び戻りました。
移ってしばらくの間は、ラオツーハウスのある建物の一室で朝晩講話がなされていた時期がありました。
その部屋は100人あまりも入ればいっぱいになるような小さな部屋で、ほんの数メートル先、手を少し伸ばせば届きそうなところに座っているOshoの講話が聞けるので、とても贅沢なひとときでした。
その場所は、今ではサマーディと呼ばれる、Oshoの遺灰が収められていた場所で、静かに坐って瞑想する場所になっています。
それはともかく、そのサマーディに入るためにその建物に入ると、入り口から壁全体が本棚になっていることに気づきます。
そして、サマーディルームに入るまでの建物の廊下全体が下から上までが全部ガラス張りの書棚になっています。
その建物のそのなかの広い一室がOshoの蔵書が収められているライブラリーで、そこにも床から天井までの壁全体がガラス張りの書棚になっていて、本で埋め尽くされています。
つまり、本来本が収められるべきそのライブラリーの一室には、収まりきらない本たちが廊下全体にも溢れだして、その建物全体が本で埋め尽くされている、というわけです。
その蔵書の数は15万冊。
しかもそれらの本を全部読んだ、とOshoは語っています。
それらを読んだだけではなく、その本のなかにOshoは絵まで描いていたのです。
その絵をシルクスクリーンにしたものが、現在和尚アートユニティで紹介しているOshoのシルクスクリーン版画です。
私は、そのOshoの絵のプロジェクトに関わっていたおかげで、その図書館に出入りすることができました。
それらのOshoの絵が書かれている蔵書を実際に手にとって、そのなかのOshoの絵を実際に見て、版画として制作するための絵を選んでいたので知っているのですが、それらのどの本を手にとっても、そこにはOshoの署名があり、そしてそれらの本の中の多くに色彩のあるサインや絵まで描かれてあったのです。
このOshoブログのトップの画像の絵も、その一枚です。
そのOshoのシルクスクリーンの絵は,ここで見ることができます。
それはともかく、Oshoは子供の頃から本がとても好きでした。
自分が読みたい本を買いたいときに、は父親にその代金をくれるように要求したのですが、そのやり方というのはまさにOshoらしい。
彼以外に、このようにして父親からお金を受け取った人はいないでしょう。
それほど彼は子供の時から本が好きだったということです。
そしてまた、どれほど彼はそれらの本を愛し、大切にしていたかということも、このビデオで語られています。
ここでは語られていませんが、どこかで彼が語っていたことのなかで、大学教授の時代だったか、どうしてもある本が読みたくて、その本は本屋で高価で売られていたのを購入した時の話が語られていました。
その本を購入するためにほとんど1ヶ月分の給料をはたかなければならなかったので、その月は飲まず食わずの生活だったこともあるようです。
その本はターシャム•オルガヌムという、グルジェフの弟子でもあったP.D.ウスペンスキーの本だと記憶しています。
それではOshoが愛した本のお話、お楽しみください。
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今日はここまでとします。
えたに