私はOshoの描いた絵を選ぶための、Oshoの蔵書が収めてある図書館に出入りしていた時期があります。
Oshoは自分が読んだ本の中の余白に人知れず絵を描いていたのです。
Oshoは1974年にプーナに移り、朝晩の講話と面会の合間を縫って、数十冊の本を読んでいる読書家としても有名でした。
しかし、Oshoがそれらの本の中に絵を描いているのを知っていたのは、弟子の中でもごく少数だったでしょう。
それらの絵を見ると、どのようにその絵が描かれたのか、どういうふうにすればそのような絵を描くことができるのか不思議な絵がいっぱいあります。
それらの絵を一つ描くだけでも1日ぐらいはかかりそうな絵もいくつもあります。
少なくとも数時間はかかるだろうと思われるのに、それらの絵が何百冊もの本の中に描かれてあるのです。
その何百冊ものOshoの蔵書から絵を選ぶわけなのですが、驚くのは、それらの本の全てにOshoのサインがなされてあることでした。
いったいOshoはそれだけの本を読みながら、どうやってそれだけの絵を描いていたのでしょう?
そして、それら何万もの本にすべてOshoのサインがなされ、目を通しているのですからびっくりです。
しかもそれは自分のための読書ではなく、「現代の知識人と話をするには、彼らのレベルから語らなくてはならない」というためだったのですから。
それでは、「一万人のブッダたちへの百話」より「Oshoは光明を得た後でなぜ読書したのか?」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
「 Oshoはアーメダバードでバガヴァッド・ギータの講話をしています。
そして毎夜、講話の後で、2時間の内に5、6冊の本を読んでいます。
どうやってそんなことができるのか私には想像すらできません。
Oshoが読み終えた本を覗いてみると、ところどころのページに線が引かれていました。
どの本にもOshoのサインと日付が記されています。
今日、もっと本を買い求めるために、Oshoについて一軒の本屋に出かけました。
どうやらアーメダバードでも一番大きな本屋のようです。
書棚には数千冊もの本がぎっしりと並べられています。
店内のカウンターに立つ男性がOshoにナマステの挨拶をして、足許に触れました。
Oshoを愛する友人のひとりのようです。
Oshoはその男性の頭に手を置いて、新刊書を見せて欲しいと言いました。
その男性はOshoを店内に案内しました。
Oshoは数分の内に32冊の本を選びました。
私はOshoの素晴らしい記憶力に驚かされました。
Oshoは本のタイトルだけでなく、著者の名前も本の内容も憶えていたのです。
帰宅する途中、車の後部座席でOshoのすぐそばに座っているときに、単なる好奇心から「Osho、光明を得た後で、どうして様々な課題について書かれているこうした本の全てを読んでいるのですか?」と質問をしました。
Oshoは
「私にとってこういった本を読むことは、
最も骨の折れる仕事なのだ。
マハヴィーラは何日間もかけて断食したが、
それもこのようながらくたを読むことに比べたら何でもない。
マハヴィーラ以降人類は大きく変わった。
現代の知識人と話をするには、
彼らのレベルから語らなくてはならない。
彼らは知的満足を得て初めて、
知性を超えているそれを理解できるのだろう」
と言いました。
それから私に警告しました。
「こういった種類の本を読むことに夢中にならないように。
私の本はエッセンスだ。
真実を探求する者たちなら誰でも導くのに十分だ」
それから更にこう言いました。
「宗教の名において出されている古い本の全てに未来はない。
こういった本は全て、未来の若者たちを魅了することのできる私の本に取って替えられるべきだ」
Oshoの、暗闇で手探りをしている人類に対する慈悲を感じました。
私たちに道を示すために、燃え盛る松明を手に持って旅をする、真実の人がここにいるのです。」
今日はここまでにします。
えたに