インテリジェンスとインテレクト

No-Thought for the Day Oshoの言葉

イノセンス(純真、天真爛漫)
が消え去る瞬間
魂のインテリジェンスは去ってしまう

それは死体だ
それは単に「インテレクト」と
呼んだ方が良い

          Osho

「インテリジェンス」と「インテレクト」って、どういう違いがあるのでしょう?

日本語に訳せば、両方とも「知性」と訳されています。

ここでOshoは「インテリジェンス」と「インテレクト」という言葉を独自の定義で使っています。

インテリジェンスはイノセンス(innocence)があるときにあるもので、イノセンスが消えるとなくなってしまうもの。

Oshoは「魂の」インテリジェンス、という言い方をしています。
そして「インテリジェンス」が去って、死体となったものが「インテレクト」だと定義しています。

ある意味、死んだ知識の寄せ集めという意味でもあるのでしょう。
知識や論理(インテレクト)を生かして使うことができるかどうかはインテリジェンスがあるかどうかによります。

簡単に結論を言ってしまうと、インテリジェンスとはハートからのもので、インテレクトはマインドからのものだと言えるでしょう。

ハートは純真で純粋無垢で、魂のやどる場所です。
ハートのインテリジェンスは「直感的知性」とも言われています。

魂のインテリジェンスは、マインドの知性(インテレクト)を超えたものです。
それはより直感に近いものだと言えるかもしれません。

「直感」についてはつい最近山川夫妻の翻訳で、角川書店から「直感」というタイトルのOshoの本が出版されました。

そこでは「すべてを魂で理解しなさい」ということが書いてあるので、魂で理解することが直感であり、インテリジェンスでもあります。

「理知とは未知の世界を
知ろうとする努力だ。

そして、直感とは
不可知の世界に起こることだ。  

不可知な世界に浸透することは可能だ。
しかし、それを説明することはできない。」
                                                 Osho

マインドは既知の知識を集め、論理的に物事を考えることです。 それがインテレクトです。

しかしその論理や知識はハートがあってこそ生きたものになり、有効に使うことができます。 ハートでインテレクト使うことができれば、それがインテリジェンスになります。

もし、その論理や知識を使うにあたってハートがなければどうなるでしょうか?

論理や知識そのものはどのような結論にも導くことができます。 論理的に考えれば、正しい一つの結論が導き出されるかといえば、そういうことはありません。

もしそうであれば、裁判で争うことも必要なくなるはずです。 裁判での争いは双方の当事者が、それぞれ論理的に正しいと主張して争っています。
もちろん論理が破綻していれば初めから話になりませんが、論理的だからと言っても同じ結論になるとは限りません。どういう結論に導くかが大切です。
だからこそ、ハート(インテリジェンス)によってマインド(インテレクト)を導くことが大切です。

どういう結論に導くかはインテリジェンスが必要です。 もしインテリジェンスがなければ、インテレクトだけだと、愚かな結論を導き出すことにもなるでしょう。

現在のインターネット時代、知識と情報は誰の手にも入るようになりました。
テクノロジーは飛躍的に発展しました。 インテレクトがこれほど発達したことは人類の歴史が始まって以来のことです。

それなのに、戦争や飢餓、環境破壊など人類の破滅の危険があるのはどうしてでしょう?

それはインテレクトばかりが発達して、それを正しく使うことのできるインテリジェンスが育っていないからなのではないでしょうか?

現代社会は左脳の頭だけのインテレクトが肥大して、ハート(愛)のインテリジェンスが忘れ去られているようです。

そうするとインテリジェンスは去り、死んだインテレクトだけが残ります。

ちなみに、intelligentの語源は、ラテン語、intellegere(理解する、悟る、考える)です。 その過去分詞intellegens(理解した、精通した)からきています。

「intell」は、「理解する、考える」です。 これと同じ名前のアメリカのコンピュータチップ・メーカーがありますね。 intelligenceは知性、知力、知恵、情報と訳されています。

IQはintelligence quotient (知能指数)からきていて、intelligenceは知能という意味もあります。

intellectの語源はラテン語、intellectus(理解、洞察)からきています。 知性、思考力という意味があります。

いわゆるインテリはintellectual からきていて、intelect(u)(知性)+ al(~の性質を持つ)で、知識人、文化人という意味があります。

語源などから見る限りは、意味としてはインテリジェンスとインテレクトはそれほど違いはなく、両方ともマインドからの知性という意味のようです。

なので、ここで定義したように、「インテリジェンスはハートからのもので、インテレクトはマインドからのもの」とは言えないようですが、そもそも「ハートからの知性」という概念が歴史上あまり聞いたことがないので、「ハート」ということの重要性を説いているOshoからの新しい考え方と言えそうです。

それでは今日も素敵な1日を! Have a nice day! 

えたに