Oshoにしてみれば、関係性というのは、
自分で勝手に創りだしている苦しみだし、
そのような質問にまったく関心はない、
と言います。
そしてOshoの唯一の関心は瞑想なのに、
瞑想については滅多に質問しない弟子。
いったいどういう師弟関係なんだって思いますが、師弟の間には愛がありました。
といってもそれはOshoの愛なのですが・・・
とはいえ、弟子たちにとって最も愛する人は、恋人にも増してOshoのことだったでしょう。
それはともかく、Oshoに質問することは、
ある意味危険なことでもありました。
というのは、
すべてが白日の下にさらけだされ、
自分の無意識にも直面させられることにもなるからです。
それらに気づきをもたらす機会が、
Oshoへの質問であり、Oshoからの答えでもありました。
「これらの状況は、瞑想のためのすばらしい機会だ」
とOshoが語るように、
Oshoとともにあることで、すべては瞑想の機会にもなるのです。
シュンニョは語ります。
「プーナに戻ってきた年、Oshoはふたたび講話のなかで、関係性についての
私たちからの質問に答えるようになりました。
「私はあなたの私的な関係性に興味はない。
それは完全にあなた自身の悪夢なのだから。
あなたは苦しむことを選んだ。
それなら苦しみなさい。
だが、あなたが私に質問するときには、
私はただ、どちらの味方にもならずに
観察している人間として、
ほんとうのことを言うのだということを覚えておきなさい。
これは世間一般のやりかたではない。
関係性の問題やそれがもたらす苦しみについて、
誰かに相談したならば、
世間的なやりかたでは
その人はあなたをなぐさめてくれる。
男と女はともに苦しみ、
互いにあらゆるやっかいごとを作りだしてきたのに、
過去一万年において、男と女の関係には、
いかなる革命も変化も起こらなかった。
あなたは自分で自分の世界を創りあげている―――
それがはっきり見えるよう、
私はあなたを助けたい。
私が見るには、
あなたこそがあなたの世界、
あなたこそがあなたの世界の創造者だ。
強くありなさい。
根気強く、変化に向けて努力しなさい。
私はあなたにもっと
個人としてあってほしい。
もっと自由に、もっと注意ぶかく、
もっと意識的で、もっと瞑想的になってほしい。
これらの状況は、瞑想のためのすばらしい機会だ。
だが、怒ったり、われを失ったり、
言い訳したりしだすのなら、
どうかこうした質問はしないでほしい。
私はこうした質問にはまったく興味がない。
あなたの関係性は、あなた自身の問題だ。
私のここでの唯一の関心は瞑想にある。
だが、とてもおかしなことだが、
あなたはめったに瞑想について質問しない。
瞑想はあなたの主要な関心事ではないようだ。
あなたにとっていちばん大事なことではないようだ。
それがあなたのマインドに
真っ先に浮かぶことではない。
それはあなたの洗濯物リストの最後に
あるものかもしれないが、
いちばん最初のものではけっしてない。
リストのいちばん最初にあるのは、
おろかな、つまらないことだ。
あなたは自分の時間をむだにしている。
私の時間をむだにしている」
『The Hidden Splendor』
「瞑想なしには、すべての恋愛は破綻する」―――Osho
「Oshoと過ごしたダイヤモンドの日々」