人格もエゴもない存在

人格者というと、日本語では道徳的にすぐれた人や人格的にみてすぐれた人のことをいいます。そもそもその人格(パーソナリティ)という言葉のもともとの語源をたどると、ギリシャ劇でかぶる仮面(ペルソナ)のことをいうようです。つまり本当の自分ではなく、劇を演じるためのかりそめの仮面、世間に見せるためのお面なわけです。そういう意味でいえば、人格者というのは、世間からの評判の良い仮面をかぶることができたひとが人格者だといえそうです。エゴというのは一般にはエゴイスティックという意味で使われ、利己的、わがままというふうな意味で使われます。自我というふうにも訳され、フロイトなどの精神分析の概念では、イド(本能)とスーパーエゴ(超自我)の社会的な道徳観念や良心などを統制して現実への適応を行わせる精神の一側面とされています。その自我が芽生えるのは3、4歳ぐらいからであり、反抗期などはその自我を確立するためのプロセスです。人格はその自我や超自我から形成されるようなものともいえるでしょう。そしてその自我や人格が自分を他と区別し、世界と分離し、孤独感をもたらすことになったりします。悟りを得た人、光明を得た人というのは、その体験の報告に共通しているのはすべての存在とひとつであるという体験です。それは自己と世界とを分離させている境界を形成しているエゴや人格を超えていくからなのでしょう。

ニーチェは精神の3つの様相をかたります。ラクダとライオンと子供です。

全てにイエスといいながら両親や社会の教えを受け容れて学ぶラクダの時期と、それらの全てに反抗し、ノーというライオンの時期を経て大人になっていきます。たいていはそのラクダとライオンのはざまで自我や人格を形成していますが、それらを超えた子供のように純真で自由な精神をもった状態が子供です。ある意味、光明を得た精神というのはニーチェのいう子供に近いのかもしれません。そのような定義はともかく、私たちはエゴを持ち、人格を形成し、より良い人格者になろうとして人生を送ります。

しかし、光明を得るというのは、それとは違った人生です。そのようなエゴと人格のない人というのはどのようなひとなのでしょう?ひとかけらの人格もエゴもないというのがどんなことなのか?シュンニョによると。まさにそのような状態をOSHOは生きていたようです。

それはまさに「空」(くう)を生きるということのようです。それはまさに存在(ビーイング)そのものともいえそうです。OSHOは存在(ビーイング)そのものであり、OSHOはその存在(ビーイング)を私たちに味わわせるために存在してくれていたというのです。

シュンニョは語ります。

OSHOを見ると、彼の両眼が空をたたえているのがわかりました。それでもなお、そこにはひとかけらの人格もエゴもないということが、私にはずっとわかりませんでした。ひとかけらの人格もエゴもないというのがどんなことなのか、私には理解するすべがなかったからです。ですが、いまの私にはそれがわかります。彼がどのようにして私たちに教えてくれたか、彼がどのようにして私たちをやさしく急がせ、私たちに道を進ませてくれたか、それを思いだすことでわかるのです。それは私たちの内奥にある神秘を見いだすための道でした。苦悩と苦痛を超えて飛翔するための道でした。しかも、 私たちを人間らしさの中核にまで導き、あらゆる組織宗教に反しながらも、真の宗教性へと到達する道でした。彼は35年にわたりたえず人々を助けたのですが、そうすることへのなんの見返りも期待しませんでした。OSHOはただ自分の叡知を分かち与え、彼の話を聞くかどうか、彼を理解するかどうかはすべて私たちの側にまかされていました。彼が教えようとしたことを私たちが理解できなくても、彼が怒ったことは 一度もありません。私たちが何度も同じパターンをくりかえしていても、それにいらいらしたことはありません。

ある日あなたがたは光明を得る。それはいつか起こることになっているのだから』とOSHOは言いました。『それがいつかは問題ではない』とも言いました。『私はあなたがたに私の存在(ビーイング)を味わわせている。そしてあなたがたもほかの人たちに同じことができるようになるよう、あなたがたの準備を整えている。私の言葉が生きつづけるか、それとも死物になってしまうかは、すべてあなたがたしだいだ。私にとってはどちらでもかまわない。私はここにいるあいだ、私をあなたがたに注ぎこんでいる。あなたがたがそれが起こるのを許してくれていることに私は感謝している。だれが未来のことなど気にかける? 私の内側には未来について心配する者はいない 私は安心している。存在(イグジスタンス) が私という媒体を見つけられたのなら、それは何千もの人々をその媒体として見つけられるだろう』

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

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