私は貧欲を欲望とは見なさない
貪欲は何か実存的な病気だ
あなたは全体と調和していない
そして、その全体との調和だけが
あなたを神聖にする
私にとって、貧欲はけっして
欲望などではない
だから、貧欲に対しては
何もする必要はない
あなたは自分の満たそうとしている
虚しさを理解し
次のように問いかけなければならない
「なぜ私は虚しいのだろう?
全存在がこれほど満ち足りている
というのになぜ私は虚しいのだろう?
たぶん、途を見失ってしまったのだ
私はもはや同じ方向に進んでいない
もはや実存に即していない
それが虚しさの原因だ」
だから実存に即し
レットゴー (手放し)して
沈黙、平和、瞑想のうちに
存在に近づきなさい
やがてある日
あなたは自分自身が満ち足り
──溢れるほど満ち足り──
喜び、至福、祝福に満ち
溢れているのを見いだす
あまりに多くを持 っているために
世界中に分け与えても使い尽くすことはない
その日に、初めてあなたは金、食物、物──
何に対しても
いかなる貪欲さも感じなくなる
あなたは満たされえない貪欲さ
癒されえない傷を持たずに生きる
あなたは自然のままに生きる
しかも必要なものすべてをそこに見いだす
貪欲からこの世のさまざまな問題が生じています。
現代資本主義の問題のひとつは富めるものと貧しいものとの二極化です。
それを象徴するのが2011年9月中旬にアメリカ、ニューヨークのウォール街で発生した、ウォール街を占拠せよ(ウォールストリートを占拠よOccupy Wall Street)というデモです。
そこでのスローガンは”We are the 99%”。
リーマン・ショック後に大手金融機関(1%のお金持ち)は政府支援で助けてもったのに、どうして一般市民(99%の無名の人々)は助けてもらえないのか!ということからはじまった抗議デモです。
このデモの背景となる実際の数字を見てみると、アメリカ合衆国では1979年と比較して、下位90パーセントを占める世帯の平均税引き前収入は900ドル低下しているのに、トップ1パーセントの収入は、合衆国の税制が累進的でないため、700000ドル以上増加しているのだそうです。
1992年から2007年にかけて、合衆国における高額所得者上位400名の収入はおよそ4倍上昇していのに、平均税率は37パーセント低下しています 。
2007年において、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセントを所有しており、次の19パーセントの人口が50.5パーセントを所有しているのだそうです(ウィキペディアより)
そこで、デモ活動では『ワシントンD.C.の議員に対し、カネの影響力をなくすための委員会を設置するよう』、バラク・オバマ大統領に対して要求していました。
アメリカは資本主義の国で、それが行き過ぎているように感じられますが、それがますますエスカレートしてきています。
日本も資本主義の国である以上は同じ道をたどりつつあります。
これらの外側の問題を、どれだけ解決しようとしたところで、根本的な問題が解決されない限り、いくらデモをしても、このようなお金のシステムが解消されることはありません。
その根本的な問題とはなんでしょうか?
Oshoによれば、それは貪欲さです。
そしてその貪欲さは内なる虚しさから生じているというのです。
ですから、その自分の満たそうとしている虚しさを理解しないかぎり、解決することはないのでしょう。
その内なる虚しさを理解するために、次のように自分に問いかけることをOshoは提案しています。
「なぜ私は虚しいのだろう?
全存在がこれほど満ち足 りている
というのに
なぜ私は虚しいのだろう?
たぶん、途を見失ってしまったのだ
私はもはや同じ方向に進んでいない
もはや実存に即していない
それが虚しさの原因だ」
それでは、「実存に即して」いくためにはどうすればいいのでしょう?
レットゴー (手放し)して
沈黙、平和、瞑想のうちに
存在に近づきなさい
とOshoは語っています。
これはOshoのいう「存在に近づく」ための具体的な実践法です。
レットゴー (手放し)することが、沈黙、平和、瞑想のうちに存在に近づく方法だと語っています。
すべてを手放すとなにが起こるかというと、くつろぎが起こってきます。
私たちはマインドのなかにいる限り、決してくつろぐことはできません。
必ずどこかで緊張しています。
手放すというのは、まずはそのマインドを手放していくことから起こっていきます。
そのマインドを手放していくことは、ハートの世界へと入っていくことで起こります。
それがハート瞑想®です。
このプロセスは「意識の多重構造®マップ®」を見ることで理解が容易になります。
意識の多重構造®マップ(サークル・オブ・ライフ)
私たちは通常外側にある「マインドの層」の中にいます。
レットゴー(手放す)ことで、自然と内側に落ちていきます。
「入っていく」というよりも、手放すことで自然と内側へと落ちていく感じです。
そこには何の努力も必要ではありません。
しかし、マインドにとっては内側へと入っていくのは恐怖です。
なぜなら、マインドにとっては内側の世界は真っ暗で、虚無の世界に思えるからです。
それはそうです。その内側の世界はマインドのない世界なのですから、マインドは不要になってしまいます。
つまり、マインドにとっては内側へと入っていくのは死ぬのと同じ恐怖があるので、どうしても表面の層にとどまろうとします。
ただ「レットゴー(手放す)するように」と言っても、マインドの世界しか知らず、瞑想に慣れていないといきなりは難しいです。
そこで、そのマインドの恐怖も理解し、内側へと入っていくのを助けるのがハートの機能であり、ハート瞑想®なのです。
そしてハート瞑想で内なる世界へと入っていくことが容易になります。
ハート瞑想のなかで、ハートとつながることで、感受性が広がり、内なる世界に対しても繊細に感じ取ることができるようになっていくと、
内なる世界は単なる暗闇ではなく、そこにも豊かな世界が広がっていることがわかってきます。
マインドから見たときには暗闇でしかなかったものが、ハートから見ると内側には豊かな世界があることも見えてきます。
そのようにして中心へと入っていきます。
普通、中心は「無」や「空」として表されていますが、「涅槃」「仏性」「神」「タオ」「存在」など、さまざまな呼び方がされています。
そして最近の素粒子物理学では「真空」は単に何もない世界ではなく、そこからすべてのものが創造されてくる世界らしいということがわかってきています。
その真空の中から素粒子が飛び出してくるらしいのです。
真空だと思われていた世界が、実は充満している世界で、創造の源だというふうに考えられつつあります。
瞑想の世界ではそのことはすでに知られていたことです。
その意識の多重構造の中心にある瞑想から世界を見ていくと、存在の豊かさが感じられるようになります。
その中心は宇宙ともつながり、宇宙と調和し、すべてがある世界でもあるのです。
その存在の豊かさをOshoは次のように語っています。
存在とその豊かさを見てごらん
はたして,世界にこれだけ多くの花が必要だろうか?
バラの花だけでも充分だったろう
だが存在は豊かだ──
無数の花々、無数の鳥たち、
無数の動物たち・すべてにおいて豊かだ
自然は禁欲的ではない
それは海のなかで
樹々のなかで いたるところで踊っている
それは松の本立を吹き抜ける風のなか──
鳥たちのなか― ー
いたるところで歌っている……
何百万の太陽系が
そのひとつひとつにある無数の惑星が
はたして必要だろうか?
豊かさが存在の本質そのものでないかざり
豊かさがその真髄そのものでないかぎり
存在が貧困を信奉していないのでないかぎり
どうやらその必要はないようだ
マインドの層にとどまっているかぎり、内なる層は虚しく感じられます。
しかし中心の層につながり、存在に近づいたとき、
あなたは自然のままに生きる
しかも必要なものすべてをそこに見いだす
ことになるのです。