サットサング
ジョティのOshoと過ごした日々も、いよいよ終わりに近づいてきました。 Oshoのプーナでの時代が終わりを迎えようとしています。 1974年にボンベイからプーナに移り、アメリカに移るまでの7年間を、第1期のプーナと呼んで…
ジョティのOshoと過ごした日々も、いよいよ終わりに近づいてきました。 Oshoのプーナでの時代が終わりを迎えようとしています。 1974年にボンベイからプーナに移り、アメリカに移るまでの7年間を、第1期のプーナと呼んで…
ソクラテスは「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などの罪状で公開裁判にかけられる死刑に処せられました。 それは当時、賢人と呼ばれていた政治家や詩人達などの様々な人を次々に訪ね、「アポロンの…
マスターとともにいるとはどういうことなのか? マスターの講話を聞くということはどういうことなのか? ジョティの経験を通して、そのことが語られています。 そうなのです。マスターとともにいるということは、まさにそういうことな…
禅では瞑想をするにあたって、 自分を指導してくれる師を探し求める伝統があります。 それは悟りに正しく導くための師であるとともに、 弟子の瞑想が深まっていくとき不思議な現象が起こることがあり、 そのときに導く師を必要とする…
ジョティは、ごく初期の頃のインド人のOshoの弟子で、Oshoがプーナに行くまでは、Oshoの身近に長く過ごした経験を持っていました。 Oshoがプーナに移ってからは、ボンベイで仕事をし、祖母の面倒を診るためにOshoと…
ジョディが経理の仕事を20年間もしていたとは、この本を読むまで知りませんでした。 実は、私はジョディのことを個人的に知っているのです。 彼女がジョディだと知ったのは、彼女が本を出版してからで、それ以前から名前も知らずに顔…
ジョティはOshoからの「物事を放棄することには賛成しない」というサジェスチョンもあって、プーナのOshoのもとを離れ、ボンベイに暮らしています。 しかしそうすることにはジョティ自身に、そうする必要があったのです。 それ…
1974年3月21日。 Oshoのエンライトメントデイ(Oshoが21歳の時に悟りを得た日)にボンベイからプーナに移り住むことになりました。 ジョティもOshoとともにプーナに移り住むつもりでOshoを追いかけてプーナに…
Oshoは9年間大学で哲学教授を務めた後、大学を去り、インド各地を旅しながら講演を行っていました。 その当時(1971ごろ~74)はボンベイを拠点としていましたが、Oshoの瞑想センターが海外にもできはじめ、西洋人の人た…
今回はちょっと長いお話です。 このOshoがみんなに語って聞かせた「願い事をかなえてくれる木の下で座りながら、それに気づいていなかった、ある男の物語」」はOshoタロットに書かれてある逸話です。 このOshoタロットは、…