セックスと死 その6
通常私たちは生と死は対立したものと考え、死を恐れ、忌み嫌い、避けるべきものとして考えがちです。 しかし、ソギャル • リンポチェの「チベットの生と死の書」によるとチベット仏教の観点では私たちの存在は(1)生、(2)…
通常私たちは生と死は対立したものと考え、死を恐れ、忌み嫌い、避けるべきものとして考えがちです。 しかし、ソギャル • リンポチェの「チベットの生と死の書」によるとチベット仏教の観点では私たちの存在は(1)生、(2)…
OSHOはここで、セックス(愛をかわす)を、生物学的な世界から、心の世界、さらにスピリチュアル(魂)の世界へと到達することの可能性について語っています。 つまり、生エネルギーという生物学的なエネルギーを、より精神的な…
どうしてOSHOは死についてこれほどまでに確信に満ちて語ることができるのか、理解しかねるところがあります。 普通,死とは体験できないものなので、誰も死については語ることができないはずです。 語ることができるとすれば…
時々、OSHOの言葉を紹介するときにヒヤヒヤすることがあります。 今回も、セックスについてここまで話していいの? っていう話なので、ここまで紹介していのかなぁ、と思うわけです。 OSHOは「私は宣言しよう。そしてこ…
セックスというのは生命エネルギーの象徴です。 セックスから生命が誕生します。 ちょうどプラスとマイナスがあってエネルギーが流れるように、生(セックス)と死があって生命エネルギーが流れるのでしょう。 生と死についての理解と…
OSHOの講話は私たちに「理解の錬金術」をもたらしてくれます。 この「セックスと死」についての講話は、そのことに理解をもたらし、その理解から気づきが生まれ、講話を聴くことで、「セックスと死」についての理解と瞑想が生まれ…
これまで精神的な探求や宗教的なことはセックスとは切り離されてきています。 聖なるものというのはセックスを非難し、抑圧してきた歴史があります。 しかし、OSHOはセックスも人間の基本的なエネルギーとして、それを受容した上で…
OSHOが最後にブッダフィールドに現れてたのは1月16日で、肉体を離れたのは、その3日後の1月19日でした。 OSHOは、悟りを得た人が肉体を離れたときに起こる、さまざまな現象についても語ったことがありました。 その悟り…
私がOSHOの死を知ったのは、OSHOが肉体を離れた日の夜中の12時ころの電話でした。 その日、アシュラムにいた友人が電話で知らせてくれたのです。 私たちは、そのころ伊東の小室山にある別荘地に、友人たち数人と住んでいま…
OSHOは新しい寝室には2週間だけいただけで、もといた寝室へと戻ってしまいます。 しばらく会わなかったOSHOを目にして、彼があまりに変わっていたのでシュンニョは驚きます。 彼の身ごなしが変わり、より光明を得たかのよ…