飽き飽きした人生

昨日紹介したビデオの、3番目の質問についてのOSHOの話を少しご紹介しておきます。

3番目の質問は
「気づいたのですが 私は自分に飽き飽きしているのです。
 何のジュースも感じません。
 ありのままの自分を受け入れなさい 
 とあなたはおっしゃいました。
 私は生を受け入れることなどできません
 自分の内側に何らかの喜ぶが欠けているのに気づいているのに」

OSHOは語ります。

  あなたは言っている

  「気づいたのですが 
   私は自分に飽き飽きしているのです」

  これはたいした発見だ
  本気で言っているのだ
  ごくわずかな人々が
  自分が飽き飽きしていることに気づいている
  彼らは飽き飽きしている
  完全に飽きている
  本人以外は誰もが知っていることだ
  自分が飽き飽きしていると知ることは
  大きな始まりだ

  さあ その意味することが理解されなければならない
  人間は退屈を感じることのできる唯一の動物だ
  それは大きな特権だ
  それは人間であることの尊厳の一部だ

  見たことがあるかね?
  水牛やロバが退屈しているのを?
  彼らは退屈しない
  退屈とはつまり
  自分の生き方が間違っているということだ
  だから 「自分は飽き飽きしている
  何かが成されなければならない
  何かの変容が必要だ」
  と気づくのは大きな出来事となりうる

  だから 自分が飽き飽きしているということを
  何か悪いことだとは思わないように
  それはよい兆候だ とい始まりだ 吉兆だ
  しかしそこで終ってはならない

  人はなぜ退屈する?
  人が飽き飽きするのは
  死んだパターンに従って 生きているからだ
  それは他人に与えられたものだ
  そういったパターンを捨てなさい
  そうしたパターンから抜け出しなさい
  自分に従って生きはじめなさい
  真正な人だけが退屈しない

このあと、OSHOは自分の体験も含めて、本物の人生を生きることについて語っています。

しかし、退屈しない人生って、とてもリスキーな人生を送ることになります。

安全で平和な人生を送りたい方には、お勧めしません。

OSHOに近づくことは、とても危険なことなので、安全に生きたい方は近寄らないようにしてください。

また「ありのままの自分を受け入れなさい」という言葉も、ほとんどの場合は誤解されて解釈されています。

OSHOが言うところの「ありのままの自分を受け入れる」というのは、普通に解釈されているものとは違っているので、「誤解しないように」というふうにOSHOは語っています。

危険な生き方に興味のある人だけ、聞いてみてください。

その場合は150円を支払う危険をおかす必要があります。

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