人生を変容させるために

前回の続きです。

他人を助けたいと思っても
相手の内部にある何かがその目的のさまたげになることがある。。。

    「あなたが死ぬまでは」
     第六章 あなたのなかの種

  http://oejbooks.com/products/dtl_3.html

前回は、他人を助けたいと思っても、その人の内部の現実を変えないかぎり不可能だというお話でした。

なぜなら、私たちは自分の内側に原因を持ち運んでいるので、内側を変えないで外側だけを変えようとしても、同じことの繰り返しになるからです。

自分のなかにみじめの種を持ち運んでいるなら、それを変えないかぎり、外側だけを幸せにしようとしてもその幸せは長続きせず、またみじめなパターンに戻ってしまいます。

一度、自分のパターンができてしまうと、そのパターンから抜け出すのはなかなか大変です。
というのも、そのパターンを繰り返せば繰り返すほど、そのパターンが強化されているからです。

そこで、OSHOはその繰り返しのパターンを落とすための3つのプロセスを、ここで語ってくれています。

この3つのプロセスは、読むだけでは意味がありません。

ここでOSHOが語ってくれている3つのプロセスは、日々実践するための瞑想法です。

瞑想は毎日1時間坐ることだけが瞑想ではなく、日々の自分の生活に「気づき」をもたらすことが瞑想になります。

この瞑想法は、日常生活のなかでできるので、瞑想する時間がないという忙しい人にもできる瞑想です。

この瞑想法は、日常生活での自分の行動で、
1)まず、自分が同じパターンをくり返していることに「気づく」こと。
2)ふたたび同じパターンに入らないように気をつけること。
  自分がまた同じパターンに入ろうとしているのを「見る」こと。
3)そして内側に眼を向けて、その内側を見つめることが瞑想になります。

そして外側に起こっていることは、スクリーンに映し出されている映像であり、本当の原因ではないないことに気づくことが瞑想です。

そのスクリーンに映し出された映像のなかに、不幸や幸せの原因を求めるのではなく、その原因は常に自分の内側にあることに気づくことが、今回、OSHOが語っている瞑想です。

これはOSHOが語っていることを信じるかどうかではなく、自分でやってみて、検証することが大切です。

実際にOSHOが語っていることが本当なのかどうかを自分で検証してみてください。

OSHOが語っているのは、自らの人生を変容させるためのヒントでしかありません。

OSHOもあなたを助けたいと思っても助けることはできません。
あなたの内部にある何かがその目的のさまたげになるからです。

ここでは要点だけしか書けませんが、OSHOの実例などを知りたい方は、「あなたが死ぬまでは」の第六章をぜひ読んでみてください。

自らの人生を変容させるためのヒントを見つけることができるでしょう。

OSHOは語ります。

  では どうやってこの繰り返しを
  落としたらいいのだろう?

  まず第一に そのくり返しに気づくこと
  これが基本的な第一歩だ

  人は このくり返す性質が存在することに
  気づかなければならない
  あなたがたは 人間というより
  自動機械になって動いている
  何かのメカニズムになってくり返している

  あなたがたの内に「人間」が生じてくるのは
  あなたがたが機械でなくなったときだけだ
  あなたがたが新鮮なやり方で動きはじめるとき
  新しい道を歩みはじめるとき
  道のなかに入りはじめるとき
  そのとき初めて「人間」があなたがたの内部に生じてくる

  第二の段階としては マインドの状態が
  ふたたび型にはまらないよう用心することが大切だ
  あなたがたがもし注意深くいられるとしたら
  マインドに新しい現象を取り込むことになる

  たとえば あなたがまた恋におちるとするね
  そうしたら油断しないこと
  恋に落ちること自体は何ひとつおかしいことではない
  美しいことだ
  恋に落ちる。。。
  が 同じことをくり返さないこと

  何か古い習性をくり返そうとしているときには
  どんなときでも かならず自分自身を
  ひと揺すりして心し 気をつける
  ということだ

  そうすれば突然あなたがたは
  一つの変化を感じ取るだろう

  もし また同じように腹が立ってきたら
  自分の躰にひと揺すりくれて
  ブルルッと震わせ ほっぺたを
  ピシャリと打ってごらん
  それから洗面所へ行って冷たい水を
  眼の中に入れる

  そして心するのだ
  ちょっとでいいから 注意して見ているといい
  自分がまた同じパターンのなかに
  入ろうとしているのをただ見るがいい
  敏感に注意すること自体が変化をもたらす

  見ること それこそ一つの変容だ

  あなたがたが自分自身を見るときには
  一つ新しい要素が入ってくる
  生命のなかでもっとも偉大な要素
  見ることの要素だ

  では三番目に大事なこと
  みじめな気持ちになったら
  いつでも自分の内側に眼を向けて見なさい
  原因はそこにある

  楽しくて喜びにあふれるときにも
  内側を見つめるがいい
  その原因もそこにある

  もし眼を外に向けてしまったら
  偽りの原因を見つけ出すことになる
  それは原因などではなく
  ほんとうは自分を投影したものにすぎない

  それはちょうど映画館にいるのに似ている
  あなたがたは座席に座り スクリーンに
  いろいろな映像が出てくるのを見る

  が それは投影されているものだ
  映像は実際にはあなたがたの背後に置かれた
  映写機のなかにある

  しかし映写機はうしろにあり
  あなたがたのほうは前方のスクリーンに
  焦点を合わせている

  スクリーンの上には何もない
  スクリーンは空っぽだ
  ただ光と影とがたわむれて
  形を作り出しているだけだ

  あなたがたは自分の映写機を
  内側にもっている
  喜びの映写機
  みじめな映写機
  天国と地獄の映写機──

  あなたがたは 悪魔と神を
  自分の内側にもっている
  悪魔を見ている感じをいだいたら
  かならず自分の内側をさがすがいい
  悪魔はそこで見つかる
  他者はスクリーンの役割を
  果たしているにすぎない

  他者を通じて あなたがたは
  自分の現実を自分自身に暴露する
  他者はほんとうの原因では
  けっしてありえない

ここでOSHOが「けっしてありえない」と言っているということは、例外はない、ということです。

もしこのことが本当だとすれば、自分にとってのこの世界は、すべて自分が作りだしていることになってしまいます。

そして、どのような世界を作りだすのかということも自分しだい、自分の責任なのだということになってしまいます。

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