OSHOの未来への革命

OSHOの答えは、ただ現在人に対してだけのものではなく、未来の、全人類に向けてのものでした。

OSHOへの質問は、ただ質問をする人に対してだけではなく、OSHOがいなくなり、OSHOが答えるのをやめたときに生まれてくる人々に対しても答えていたのです。

それはある人にとっては、生死をわかつ問題かもしれないから。。。。

このようなヴィジョンを持って、OSHOは質問に答えつづけてていたのです。

そのためにOSHOはワールドツアーをしなければならなかったのです。
そのOSHOの答えを必要とする人のために。

だからウルグァイに集まった人たちは、自分自身の質問であろうとなかろうと、質問をしなければなりませんでした。

なぜなら、質問がなければOSHOはただ沈黙のなかにとどまってしまうことになります。

OSHOと遊びつづけるには、質問が必要だったのです。

そしてOEJ Booksは、そのようなOSHOのメッセージを届けるところにあるのです。

だれかひとりにでも、このOSHOのメッセージを必要としている人のために。

シュンニョは語ります。

「OSHOは、もはや問うべきことがなくなったときに弟子が到達する美しい境地についても語りました。

「……それがマスターの、神秘家のほんとうの仕業(ワーク)だ。
マスターとともにある人々は、遅かれ早かれ、問うべきことはなくなったと感じはじめる

問うべきことがなくなった状態―――それが答だ」 

質問―――「愛するマスター、今朝あなたが『問うべきことがなくなったという答』について話すのを聞いていて、私は自分の質問が沈黙のなかに溶けていくのを見ました。

そして一瞬、私はその沈黙のなかであなたとともにあったのです。
ですが、ひとつだけ疑問(クエスチョン)が残りました。

―――もし私たちが質問(クエスチョン)をするのをやめたなら、私たちはどのようにしてあなたと遊んだらよいのでしょう?」

OSHO―――「それこそ本当の問題(クエスチョン)だ!

もし、そうなってしまったら、私と遊ぶのはむずかしくなるだろう。
だから、あなた自身に質問があろうとなかろうと、かつてのように質問すればいい。

それがあなたの質問でなくてもい。どこかのだれかの質問であればいい。
そして私の答は、いつかどこかでだれかの助けになるかもしれない。
だから、私たちはこのゲームを続けることにしよう。

私は自分から話すわけにはいかない。
誰かが質問しないかぎり、私は沈黙のなかにとどまる。

質問があってはじめて、私は応答できるようになる。
だから、質問があなた自身のものかどうかは問題ではない。
たいせつなのは、どこかのだれかが、いつかかならずその質問を抱くだろうということだ。

私はあなたがたに答えているだけではない。
あなたがたを通じて、全人類に答えている。

……現代人に対してだけでなく、私がここにいなくなり、私が答えるのをやめたときに生まれてくる人々に対しても答えている。

だからあらゆる観点から見て、できるだけたくさんの質問を見つけてごらん。
私がここにいなくなった未来にも、質問のある人たちは私の言葉のなかに答を見いだせるように。

私たちにとって、これは遊びだが、ある人にとっては、生死を分かつ問題かもしれない」

胸に一撃を受けたかのようでした。
私にははっきりとわかりました。
OSHOは、生きているあいだに自分が世に認められ、理解されることはないと知っているのです。

彼は後の時代のために働いていました。世界のどこかでOSHOのワークが花を咲かせ、何十万人もの人々が彼に会いに訪れる―――私のそうした願望、私の夢にはなんの現実味もありませんでした。

OSHOがテレビの衛星中継で何百万もの人々に向けて講話をし、何百万人もの弟子たちが光明を得るのを見届ける―――それはかなわぬ夢でした。

マニーシャからの質問に答えて、OSHOはこう言いました。

「時間はかかるかもしれない。だが時間はいくらでもある。革命は、私たちの目の前で起こらなくてもいい。

世界を変えた大きな運動(ムーブメント)の一員になったこと、真実の側に立ち自分の役割を果たしたこと、いつかかならずもたらされるはずの勝利を分かちあうひとりとなったこと―――それだけでも充分に満足できることだ」

  「OSHOと過ごしたダイヤモンドの日々」
      http://u111u.info/kBc1

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