すべての過ちは学ぶための機会だ

すべての過ちは学ぶための機会だ
ただし、同じ過ちを何度も繰り返さないこと一
それは愚かだ

だが新しい過ちはできるだけ多い方がいい
恐れることはない
なぜなら、それは自然が許している唯一の学ぶ途だからだ

ゴールド•ナゲッツ

学校での教育では、間違うことは悪いことだというふうにしつけられて育ちます。

できるだけ間違わないことが優秀だとされます。

学校での教育ではすべてに答えがあります。

しかし、実際の人生での問題には、ほとんどが答えがありません。

また、新しいことに挑戦するには、その答えのない中で歩まなければなりません。

そこでの学ぶ方法は、とにかくやってみてどうなるかを見てみなければわからないことが多いです。

そのやってみることで、そして過ちをおかすことで学んでいくしかありません。

しかし同じあやまちをおかすことは、学んでいないことになります。

成功している人のパターンを見ていると、とにかく新しいことにも挑戦して、すぐに実行して、できるだけ早く間違いをおかしてしまうことから、新たな道を見いだしていくようです。

ただし、そこでは過ちをおかすリスクをとる勇気が試されます。

日本人は6年間も英語を学んでいながら、日常会話も話せないという人が多いです。

そのひとつの理由は、学校での英語の教育で、間違うことは悪いこと、恥ずかしいことだというふうに教え込まれているということがあると思われます。

そのように思っていると、話す機会があっても話せないのです。

そして話さないから、学べない、学べないから話せない、という悪循環です。

私が英語を話せるようになったのは、インドに行ったときからです。

インドでは、英国領だったこともあるのでしょうが、一応どこでも英語が通じますが、一般庶民の英語はインドアクセントで、かなりブロークンででたらめな英語なので、間違うことを気にすることはありません。

とにかく彼らと話を通じさせなければ買い物もできないので、間違おうと何しようと、とにかく話すしかないという状況があります。

また、インドのOSHOのコミューンでは、ありとあらゆる国の人たちがいるので、ほとんどの人たちの英語はネイティブではなく、外国語としての英語を話しているので、アクセントも文法も気にしないで話すことができます。

とにかく通じればいいのです。

そうやって英語を使っているうちに話せるようになっていきました。

その経験から、間違いをおかすことで学ぶ、という意識がないことが、日本人はいつまでも英語を学べないでいることの大きな原因だということがわかりました。

エジソンも電球のフィラメントを発見するときに、ありとあらゆる素材を試している中で、6000種類にも及ぶいろいろな材料で実験をしたそうです。

そしてある日、偶然机の上にあった竹の扇子を見つけ、その竹をフィラメントに使ってみて、それが200時間も灯ったことからやっとその素材を発見することに行き着いたという話があります。

そのときに、「それだけ失敗したのだから諦めたらどうだ」という周囲の意見に対して「いや、ダメな素材はわかったので、それだけ新しい素材の発見に近づいているのだ」と言ったという話を聞いたことがあります。

それだけの発明をするには、それだけの過ちから学ぶという姿勢と考え方がなければできないことです。

人生に答えはありません。

どんな人生であれ、過ちをおかすことでしか自分の道を切り開いていくことができないのであれば、恐れることなく過ちをおかし、学びを深めていきたいものだと思います。

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