頭とハートと<実在>と

前回のブログでは、「あなたは死ぬまでは」のOSHOの講話のなかから「ハート」をテーマにしました。

この「あなたは死ぬまでは」の講話はスーフィーの逸話をもとに語られています。
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スーフィーといえば、ペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人でイスラムの神秘派スーフィーのマスターでもあるジャラール・ウッディーン・ルーミーが代表的です。

彼は愛の詩人とも言われているように、神への愛を詩う、愛の探求者です。

スーフィーで有名な瞑想法に旋回舞踏があります。

白い裾の長いスカートのような衣装を着て、ひたすらぐるぐると旋回している映像や舞踏を見たことがある人がいるかもしれませんが、その旋回している様子を見ているだけでも、とても美しいものです。

OSHOが講話をしていたブッダホールと呼ばれる瞑想ホールでも、ときどきその旋回舞踏(ワーリング、と呼んでいましたが)の瞑想の時間があり、私もときどき参加していました。

このワーリングの瞑想は、1時間ほどただひたすらに、コマのように旋回する瞑想ですが、その瞑想に入っていくと、まわりの景色ははぐるぐるとまわりながらも、自分はちょうどコマの中心にいるような感じになっていき、中心が定まっていきます。

そうなると、体は自然に回転しながら、自分がまわるという努力も必要なくなり、ただまわっていることに気づいている意識だけとなって、コマの中心の静止した空間のなかに永遠にとどまっていられる感覚になっていきます。

ルーミーの時代には、神との一体化を求めてトランス状態に入るための方法として実践されていたようですが、この旋回舞踏によって「神の中への消滅」という神秘体験が得られると言われています。

この旋回舞踏は無形文化遺産ともなっているようです。

少し話しが脱線しましたが、スーフィーはまさに神との一体感による愛の道を実践する人達です。

OSHOはスーフィーをより本質的なものとして紹介し、それをハートの道として語り、その道の実践者を愛の人と呼んでいます。

私たちは学校教育で頭(マインド)の道を教えられ、実践してきています。

頭の良さ、つまり知能が唯一の基準として測定されて、いわゆるIQ(Intelligence Quotient)が高いものが良い点数を取れる教育を受けてきています。

そして社会のシステムや評価基準もすべて頭の良さや頭を基準に組み立てられています。

それに対しては、最近は頭だけではなくて心だよ、というのでダニエル・ゴールドマンによってEQ(Emotional Intelligence Quotient)、感情的知能指数、ないし心の知能指数ということがいわれたりしています。

しかしOSHOがここでハートといっているのは、そのエモーショナル(感情的)なものを超えた、さらに深い次元でのハートについて語っています。

いわゆるスピリチュアルなハート、ヨーガのシステムでいえばハートチャクラの機能に近いでしょう。

そのハートは内側への扉として機能します。

マインド(頭)が外側の世界、システムや教義、哲学、お金などの物質的な世界を探求する道だとすれば、ここでいうハートとは内なる世界、愛や瞑想を生きる道ともいえるでしょう。

頭はいつも過去や未来のことを考えていますが、ハートはただ、「今、ここ」にいること。
そして、この実在、存在とともにあることだとOSHOは語っています。

彼がよくいうのは、「頭からハートへ、そして存在へ」ということです。

「頭からハートへの一歩は自分で歩まなければならない。でも、ハートから存在へはひとりでに起こる」というふうにも語っているのを聞いたことがあります。

この「頭からハートへの一歩」をどのように踏み出せばいいのか、ということを、この「あなたが死ぬまでは」という講話のなかで、OSHOは語ってくれています。

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