あなたが死ぬまでは

「人は死ぬ前に死ななければならない。
 贈り物はその死のあとに来る。
 そしてその死さえも。助けがあってはじめて可能になる」
      
         「あなたが死ぬまでは」より

原題は Unitil You Die

1975年4月11日から10日間にわたってなされたOSHOの講話録です。

OSHO は、この講話のなかで、宗教の真髄、そして生き方のエッセンスについて語っています。

宗教が教義教条主義となり、組織となってしまって、宗教として死んでしまっていること、

そして私たちの生き方が頭での生き方に偏りがちで、生きているのに死んでしまったような人生を送らないために、何が必要かということを語っています。

この講話では、スーフィーの逸話をベースとして、OSHOがその逸話の本当の意味を説き明かしています。

OSHOによれば、キリストもスーフィーだし、仏陀もスーフィーであり、ある宗教が生気に満ちているとしたら、それはその内部にスーフィズムが生きているからであり、もしある宗教が死んでいるとしたら、それは、そこからその真髄、スーフィースピリットが消え去ったからだと言います。

それではスーフィーとは何なのでしょうか?

それは、頭(マインド)ではなく、ハートによって生きる人、愛の人のことだとOSHOは言います。

それでは、どうやって人はひとりのスーフィーになるのでしょうか?

OSHOは次のように語っています。

 「特別な組織に属することによってではなく
  頭からハートにむかって落ちていくことで
  人はスーフィーになっていく。

  あなたができる存在の在り方には二種類ある
  ひとつは、頭(マインド)人間として存在すること
  この場合、あなたは世間で大いに成功するだろう
  財産、威信、権力を増やしたり
  政治の世界での成功者になるだろう
  世間の眼からすれば
  あなたは人がぜひとも真似したい頂点に立つ人間になる

  だが、内なる世界ではあなたは完全な失敗に終わる
  徹底した失敗だ。
  なぜならマインド人間は
  内なる世界にはまったく入っていくことができないからだ。

  マインドは外に向かって動く。
  それは他者への開口部だ。
  
  が、ハートは内側に向かって開く。
  それはあなた自身への開口部になる。

  あなたはマインド人間として
  生きることもできるし
  またハートの人として生きることもできる

  あなたのエネルギーが
  あなたの生命エネルギーが
  頭からハートに向かって流れ落ちるとき
  あなたはひとりのスーフィーとなる

  スーフィーとはハートの人
  愛の人という意味だ

  この宇宙はどこから生じたとか
  宇宙を創造したのは誰か
  宇宙はどこに向かっているのか
  などと言うことは、どうでもいいと感じる人
  実のところ質問のいっさいない人
  それがスーフィーだ

  その人は質問するより
  むしろ生きることをはじめる
  <実在>がある

  愚か者たちだけ と私はあえて言う
  たとえ、どんなずる賢い哲学的な言葉で
  身をおおい隠したとしても
  それでも愚かさに変わりはない

  賢い人は<実在>を生きる!
  それは今、ここにある
  それがどこから生じたということになぜこだわる?
  それがどこから来たかがわかってどうなるのだ?

  誰がそれを創造したかなどということは
  まったくどうでもいいことだ

  あなたは今ここに在る! 
  生き生きと鼓動しながら。
  <実在>と踊るがいい!
  それを生きることだ。
  「それ」で在りなさい。
  それがその神秘にみちたまま
  あなたの内部で起こってくるのをゆるすがいい。
  これこそ神秘だ。

「あなたが死ぬまでは」より

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