「どうして恋人たちとの間では、コミュニケーションは難しいのでしょうか?」
というのが、今回のOshoへの質問です。
この質問に対して、Oshoは詳細に、かつ論理的に、男性と女性の歴史による深い人間心理的なルーツへの理解までを含めながら、順を追って答えていきます。
さすが元哲学部の教授を思わせる講義です。
なるほど~、という納得の講義。
Oshoの白熱の教室です。
この質問の論点は「恋人間のコミュニケーションがどうしてこうもうまくいかないのか」ということですが、これはこの最初の10分間のビデオでは足りなくて、後半45分以降を聞かないとわかりません。
でも、そこまで聞くにはビデオレンタルシステムで150円かかってしまいます。
そこで、このブログでは、その要旨もここでお伝えしちゃいます。
この講義を聴くと、男性と女性のコミュニケーションの違いと根深さ、そしてそれが世界の平和にまで関係しているということがわかります。
その要旨を伝えておくことは、恋人同士、夫婦間、ひいては未来の子供の教育のためにも必要です。
というわけで、少し長くなってしまいますが、興味にある方はお読みください。
Oshoは語ります。
そもそも、
コミュニケーションそれ自体が難しい。
そしてもちろん、
恋人間ではそれがさらに難しいものになる
しかし、それを述べる前に、
まずコミュニケーションそのものが
どうして難しいのか
ということを理解しておかなければならない。
それは、まず一人ひとりのマインドが
条件付けられてきた歴史、
例えばそれぞれが
違った両親、教師、聖職者、政治家に
よって育てられてきているので、
それぞれが全く違った
独自の世界を持っている
だから、二つのマインドが
コミュニケーションを取ろうとすると、
普通の日常的なことについてならまだしも、
物質的なものごとを越えて、
概念的な世界での話になると、
コミュニケーションは急に
よりいっそう難しいものになる
たとえとして、Oshoが話しているのは、神を持つ宗教と持たない宗教とでは、「バクワン」(神という意味がある)という言葉の理解がまったく異なるということです。
キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教など、ほとんどの宗教は神を前提とした考え方をしていて、ブッダとマハヴィーラ(ジャイナ教)と老子の教えだけが神を前提としていません。
最初に仏典を見たキリスト教の宣教師は、神を前提としていない教えを理解できなかったというのです。
神を中心とする宗教は、何を差し置いても、まず神が最初に来ます。
神が世界を創造するわけですから。(その神がどこから来るか、ということは別にして)
ところが、神を認めていない宗教は、神聖さは内側にあるとするので、「バグワン」という言葉は全人類の進化、意識の究極の開花、真実、至福を意味します。
そうなると「バグワン」という文化を持つ世界と、創造主としての「神」を前提として考える宗教とでは、そもそもコミュニケーションが成り立たなくなります。
なぜなら、神を前提としない仏教徒やジャイナ教と、神を前提とするキリスト教徒やヒンズー教徒では、「バグワン」という言葉に対する概念や定義がまったく異なっているからです。そうすると、そこではコミュニケーションが成り立たなくなります。
このように、一つひとつの言葉に、それぞれの人が、違った考え、偏見、条件を抱いているので、同じ言葉を使って相手と話をしていても、相手の人は、同じ意味では聞いていないことになります。違った意味で聞いているのですから。
このように、同じ言葉を使って話していても、相手がその言葉を聞いた瞬間、別の意味を想像していることになってしまいます。
ですから、コミュニケーションが高尚な内容になればなるほど、コミュニケーションは難しくなります。ほとんど不可能と言っていい、とさえOshoは語ります。
これらのことを前提とした上で、そこで質問の本題の恋人たちのコミュニケーションについての話題になるのですが、Oshoは、恋人たちのコミュニケーションはさらに難しいというのです。
なぜなら、女性のマインドと男性のマインドは異なって働くからです。
そのうえ、男性が社会から条件付けられているやり方と、女性が社会から条件付けられているやり方も異なっています。
そしてその両者が24時間一緒に過ごすわけです。
それは、もちろん大変なことなわけです。
なぜなら男性が何かを言うと、女性はそれを別なふうに聞くわけですから。
Oshoによると、女性はそれほど頭にいるのではなく、よりハートにいます。
ところが男性はずっと頭のなかにいるので、それが大きな違いを作りだすことになるのです。
たとえば喧嘩したときには、男性は議論しようとします。
Oshoは語ります。
夫は言う
「まぁ落ち着いて、論理的に話をしようじゃないか」
すると妻は言う
「絶対いやよ!だって理屈となったら、勝つのはあなたじゃない
論理じゃいやよ 私は壊すことにするわ!物や家具や何かを。
あなたが私に従わないならそうするわよ!」
すると夫は言う。
「ちょっと待ってくれ!君が正しい。
これは理屈の問題じゃない
いつだって君が、落ち着いて話をしましょうというと、いつも君が勝つんだ」
女性には独自の口論の仕方がある
皿を割ったりすることだ
もちろんその皿は
割れてもかまわない物のはずだ
本当に美しい皿は決して壊すことはない
女性は枕で男性を叩くが、
誰かを枕で叩くのは暴力とは言えない
それはまったく非暴力的な喧嘩だ
やわらかい枕
男に向かって物を投げつけるが、
決して狙いは定めない
あちこちにめがけて
だが近所中に騒ぎを起こすには十分だ
それが彼女の望みだ。近所中が、
何が起きているかを知るべきだ
それが夫をおとなしくさせる
彼は這いつくばって嘆願し出す
「許してくれ。
最初から俺が間違っていたんだ。
分かっていたよ」
争いが終わると、夫は言い争いのことなど
すっかりすべて忘れてしまう
彼が家に入るとき、深呼吸をして、
理屈のあわないことに対する準備をする
それがこれから起こるからだ
これらのことを、Oshoが話すときはユーモアを持って話すので、ひとこと話すたびに、女性も含めて周りに笑いがわき起こっています。みんなどこかに心当たりがあるのでしょう。
Oshoは語ります。
恋人たちにとっては
(コミュニケーションは)難しくなる
普通の人たちよりも難しくなる
というのも女性が結論に至るのは
理屈からではない勘だ
そして大概正しい
理屈は外れるかもしれないが、
女の勘が外れることはない
女にはある直観的なアプローチがある
男には知的なアプローチしかない
そして直観的なアプローチには、
必ず真実を知るための
なんらかの裏口がある
知性は単に表玄関を
ノックし続けているだけだ
そして誰もドアを開けてくれない
裏口はいつも開いている
いくつかのジョークを話したあと、Oshoは語ります。
恋人であろうがなかろうが、男と女は、
瞑想的意識の状態に至らないかぎり、
コミュニケーションはできないだろう
彼らのコミュニケーションはいつも衝突する
それが交感(コミュニオン)になることは決してない
唯一の可能性は、
両者がマインドを越える地点まで
自分の意識を進化させることだ
その時、あらゆる条件付けが乗り越えられる
生物学的な条件付けさえ乗り越えられる
マインドを越えた意識は、
もはや男性でもなく女性でもない
そうなると可能性がある
会話だけではなく、
交感(コミュニオン)が可能になる
深い理解が可能になる
だが瞑想なくして、
そんな可能性は存在しない
何千年にもわたって、
人は、コミュニケーション
が無い状態で生きてきた
そしてそれに慣れてしまった
男は慣れてしまった
女は慣れてしまった
そして彼らは思う
それに対してできることは何もない、と
そして実際、私は、
それについて何かできると言っている最初の人間だ
ゴータマブッダもイエスもモーゼも老子も、
誰もそれについて考えたことさえなかった
そしてそれは最も大きな問題のひとつだ
すべての家庭はこの対立でいっぱいだ
そして子供たちは
このコミュニケーション不在の
雰囲気の中で成長する
すると自然と彼らは
両親が用いていたのと同じ戦略を
学び始める
ほとんど真実に近いのは、
ほとんどすべての夫は妻に
奴隷を強いてきたということだ
そしてすべての女は復讐してきた
それは当たり前のことだ
彼女はすべての夫をおとしめた
恐妻家にした
それはまさに悪循環だ
男は女の自由を奪い、教育を奪い、
教養を奪い、
彼女が社会で動く自由を奪ってきた
経済的自立を奪ってきた
当然彼女は怒りで煮えたぎっている
もう何世紀にもわたって。
なんであろうと彼女が個人的に、
これへの反発としてできたのは
夫を苦しめることだった
千と一つの方法でだ。
彼女は独自の方法を発明した
もし彼女が幸せでないなら、
夫は冷たいお茶しか入れてもらえない
昼食が食べられないかもしれない
あるいは職場で弁当箱を開いても
空っぽかもしれない
それは男性の心理の中に深い根を持つ
というのも、何世紀にもわたって、
男は女に不正を働いてきたからだ
女は自分たちの小さな戦略を見つけてきた
彼女たちには抵抗できない
とても依存しているからだ
彼女たちは不具にさせられてきた
コミュニケーションが可能なのは
対等な者同士だけだ
そしてコミュニケーションが可能なのは
マインドを越えているときだけだ
世界が平和になるのは、
男性と女性が深い理解に至ったときだけだ
そしてその深い理解とともに、
大いなる愛が存在する
大いなる慈愛、大いなる友愛が
それが到達すべき究極のことだ
それなしでは人は文明化されえない
以上、1時間半に渡るOshoの講話の粗筋を要約してみました。
まずは最初の10分の講話をお楽しみください。
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今日はここまでとします。
えたに