OSHOがアメリカを去る日が近づいてきました。
逮捕から12日後に保釈が認められ、OSHOはしばしの休息をとったあと、判決が出たら、アメリカを去り、インドに向かうことになりました。
ラジニースプーラムに戻ったOSHOは身の回りのものを手放すことを指示しましたが、そのなかには彼の時計も含まれていました。
OSHOの講話のビデオを見た方は、いつもOSHOの手首にはめられている時計を見たことがあるかと思います。
ダイヤモンドが散りばめられている、あの時計です。
逮捕のときに押収されたままだったのですが、アメリカ政府が時計を返却してきたら、それも側近の人たちがインドに来るときの航空運賃にするようにと指示しました。
ところがそれらの時計はアメリカ政府によって盗まれてしまって、返って来ることはありませんでした。
無実の人を12日間も拘留したあげく、そのOSHOの腕時計を盗むなんて。
いったいどちらが犯罪者なのか? と思ってしまいます。
シュンニョは書いています。
「OSHOは休息をとり、2、3日のあいだは、1日に20時間も眠っていました。
11月12日の木曜日には判決が出る見通しでした。
その前夜のこと、判決が出たらOSHOはアメリカを去り、インドに向かう予定だと聞かされました。
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OSHOの部屋にある2、3のものを荷造りしていると、OSHOは、彼の所持品のひとつだったシヴァ像を取り上げて、こう言いました。
「これはコミューンにあげることにしよう。売りに出せばいい」
それは彼が講話のなかで何度も話したことのあるシヴァ像でした。
それから彼は部屋の反対側にあった仏像のところに歩いて行って、同じことを言いました。
彼がとても愛していた仏像です。
私はどもりながら言いました。
「それはだめです! それをあげてはいけません。あなたがとても愛していたものなのですから」。
それでもOSHOは頑として譲りませんでした。
OSHOはさらに、連邦政府の役人が時計を返却してきたら、それを瞑想ホールのポーディアムに並べて、みんなに見せなさいと言いました。
そして「時計は、あなたがたがインドに来るための航空運賃だ」というメッセージを、弟子たに伝えるようにと言いました。
アメリカ政府が彼の時計をひとつ残らず盗むとは想像もしていませんでした。
シャーロットで逮捕されたとき、私たちの所持品はすべて押収されました。
一部の所持品は。訴訟のすえ、1年後に戻ってきましたが、OSHOの時計は押収されたままです。
まぎれもない窃盗行為でした」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)