この瞬間にあることは、マインドにはできません。
マインドにできるのは、考えることであったり、外側のものごとに対処することです。内なる探求においてはマインドは役には立ちません。
マインドは心理的な分析や解釈はできますが、さらに内側の愛や慈愛や信頼、さらなる生の神秘の次元についてはマインドは無力であるのみならず障害になってしまいます。
マインドの次元のみで生きていると、生の神秘の次元を見失ってしまいます。シュンニョたちが体験したようなできごとというのは、私たちの人生ではときたま起こるものです。
困難な状況に直面し、未来のことがたまらなく不安になり、過去のできごとに苛まれるようなできごとにであったときです。
そのようなとき、マインドに巻き込まれてしまうと、出口のない泥沼にはまってしまいます。そのストレスに耐えきれず精神破綻をきたし、精神病やうつなどに陥ってしまうのも、そのようなマインドの罠にはまってしまったときです。
シュンニョは書いています。
「ロンドンにいる私たちにできることは、なにもありませんでした。OSHOがどこにいて、いつふたたび会えるのかもわかりません。それは『この瞬間に在る』ことを学ぶための絶好の機会でした。
過去を思い出したり、未来について心配したりするのは危険でした。──精神的にも肉体的にも危険だったのです。私たちは、精神を狂わせるにはうってつけの状況にいました。
狂気から抜け出す唯一の方法は、内側に入ることです。
のちに私はOSHOにこんな質問をしました。
「愛するマスター、自分が困難な状況にあるとき、私は『いまここ』へと非難します。瞬間においては、すべてが静まりかえっています。そして私にとって、それが剃刀の刃の上に立つための唯一の手段なのです。それでもまだ、疑いを感じるときがありますーー私は現実から逃避しているのでしょうか。愛するマスター、どちらがほんとうなのか私が理解するのを助けてください」
OSHOは次のように答えました。
「マインドに耳を傾けてはならない。マインドは偉大なる詐欺師だ。いまという瞬間においてあなたが沈黙と静寂を感じているなら、その経験には価値がある。
マインドには、それを評価する資格はない。マインドは、そうした経験よりはるかに劣るものだからだ。マインドはつねに、過去か未来にいる。記憶をたぐっているか、空想をめぐらしているかのどちらかだ。
それは、現在のことはなにも知らない。そしてすべては、現在にある。
……生は瞬間だけでできている。過去の生というものはない。未来の生というものもない。生はつねに現在にある。生はいまここにあり、マインドは、けっしていまここにはいない──それが分裂というものだ。
これは東洋が発見したもっとも重要なことのひとつだが、あなたの主観、あなたの内的存在に関するかぎり、マインドはまったく無力だ。
……マインドを超えた何かをあなたが体験するたびに、マインドはそれに疑いをはさむ、それに反論する、そんな体験をしたことであなたを気まずく感じさせようとする。
これは、マインドの古典的なテクニックだ。マインドには、いまという瞬間が創造するものに比べられるような質のものを、けっして生みだせない。実際のところ、マインドにはいかなる創造性もない。生のどんな次元における創造も、マインドのない状態から生まれたものだ。
この上もなく素晴らしい絵画、すばらしい音楽、すばらしい詩…… すべての美、人間を動物から際だたせるすべてのものは、このちいさな瞬間から生まれたものだ。そのなかへと意図的に入っていくならば、それはあなたを光明に導く。
意図せずしてたまたまそのなかに入ったときさえ、それはあなたをとほうもない沈黙、くつろぎ、安らぎ、知恵へと導く。
だが、それがほんとうにたまたまのことだったなら、あなたは寺院にたどりついたのだが、もう一歩のところで入りそこねたということになる。あらゆる創造的な芸術家、ダンサー、ミュージシャン、科学者たちは、そうしたところにいるようだ…… あともう一歩だ。
神秘家は、いまという瞬間の核心にまで入ってゆき、そこで黄金の鍵を見いだす。そして彼の生全体は、神々しい喜びとなる。荒れの喜びは、なにが起こっても失われない。だが、あなたがこの殿堂へと足を踏み入れるその最後の瞬間まで、マインドはあなたを引き戻そうとする。
『おまえはどこへ行くつもりだ? これはまったくのきちがいざただ! あまえは生から逃避している』
だが、マインドがあなたに生をもたらすことはない。これが生だという実感をもたらしたことはない。どんな神秘も味あわせてくれたことはない。それなのに、マインドはあなたをたえず引き戻そうとする。
というのは、あなたが寺院へとはいるときには、マインドは寺院の外、あなたが靴を脱いだところに置き去りにされるからだ。マインドは、寺院に入れない。マインドにはそうする能力も可能性もない。
だから注意しなさい。
『あなたは生から逃避している』とマインドが言ったなら、こんなふうに聞き返しなさい。
『生はいったいどこにあるのか? おまえが生と呼ぶものはいったいどんな生なのか? 私は生へと逃避しているのであって、生から逃避しているのではない』
マインドに対して油断なく醒めていなさい。それは、あなたの内面にいる敵だから。あなたが醒めていないことには、この敵は、成長のあらゆる可能性を損ないかねない。
あなたが少しでも醒めていたなら、マインドはどんなじゃまもできない」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)