ウルグァイのOSHOの講話は膨大なページになるほどの量でした。
探究者に取ってはとても貴重な講話です。
反面OSHOの処遇をめぐっての政治的な取引は最悪でした。
アメリカ政府はここにも介入し、ウルグァイの政府との取引が行なわれていたのです。
ウルグァイはOSHOに永住ビザを発行しようとしました。
アメリカ政府はウルグァイへの貸付金を持ち出して、それを阻止したのです。
それほどまでにOSHOの存在はアメリカにとって大きかったようです。
OSHOの側近はついに各国を訪れるのを諦め、空母を購入して、船の上にコミューンを建設しようという話まで飛び出しました。
そういえば、思い出しました。
「これからは船の上にすむんだ」という話で一時盛り上がっていた時期がありました。
実際そのための空母も探していたんだ、ということはこのシュンニョの本を読んで初めて知りました。
詳細なプランまで立ててたって、その話、本気だったんですね。
それにしてもOSHOの答えもすごいですよね。
「この惑星で船酔いしなかったんだから、船上の暮らしにも慣れるはずだ」って。
いったいそれってどういう発想なんですか? って突っ込みたくなります。
シュンニョは書いています。
「一方現実の世界では、OSHOのビザをめぐる政治的状況は深刻でした。
OSHOに永住ビザが発行されることになり、新聞にまでそのように発表されたのに、わずか一日後、その話はなかったことになりました。
ウルグアイのサンギネット大統領は、ワシントンからのメッセージを受け取ったのです。
―――ウルグアイがOSHOを永住させるつもりなら、アメリカがまもなくウルグアイに与えるのを約束していた貸付金の話はなかったことにする。単純明快です!
ハシヤとジャイエッシュは、ほとんどいつも世界を飛び回っていました。
大型船を手にいれて洋上に暮らすという計画が話題になっていました。
ハシヤとジャイエッシュは、用済みの空母を探すのにイギリスに行ったり、売りに出ている船を見るのにホンコンに行ったりしました。
OSHOは、だれかがブランコに乗っているのを見るだけでもめまいがするほどなので、船に暮らすなどというのは不可能だと思えました。
それでもOSHOは船上で暮らすという考えに全面的に賛成し、詳細なプランまで立てたのです。
どんなことであれ、私はOSHOが「ノー」と言うのを聞いたことがありません。
「船上に暮らすのは、あなたの健康にとってはよくないのではありませんか」と尋ねたハシヤに、OSHOはこう答えました。
「いや、私の身体はこの惑星での暮らしに慣れたものだから、船上の暮らしにも慣れるはずだ。
そうすればあなたがたは自由を得られる」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)