シュンニョがミラレパに恋に落ちました。
そのときの恋心が語られています。
恋に落ちた経験があれば、思い当たることがあるのでは? と思います。
そのなかで、シュンニョはひとつの洞察を書いています。
「ミラレパは、自由とはなにかを知っている人でした。
それは私が自分の内側に見いだしたいと願っていた資質なのですが、
性的な引力に目がくらんでいた私は、
自分の内側を見るのを忘れていました。
そこで私は長いあいだ、
自分の外側にあるものを捕まえて、
それを自分の内側のものにしようと、
むなしく試みることになったのです」
ここには、恋に落ちるメカニズムと、それにどう対処するべきかというヒントが書かれています。
とはいえ、若いころというのは性的な引力に目がくらんでしまうので、教訓を知ってもあまり役には立ちませんが、ヒントとして知っておくと、役に立つかもしれません。
つまり、自分が惹かれる相手というのは、「自分の内側に見いだしたいと願っていた資質」を相手の人に投影して見ている場合が多いのです。
ですから、外側にそれを捕まえようとするよりも、内側にそれを見いだすことができれば、自分を知り、成長するための助けになります。
それにしても、シュンニョも、Oshoに、こういうことをジョークのネタにされたのでは、たまりませんね。
シュンニョは語ります。
「ラジニーシプーラムに到着した週のこと、私が古い納屋のところにたたずんでいると、トラックがやって来ました。
十人くらいの男性たちが荷台から飛び降り、食事の場所に向かって行きます。
みんなカウボーイハットにジーンズにブーツという同じ格好をしていましたが、私の目はそのなかのひとりに吸いすいよせられました。
背中しか見えなかったのですが、なんという歩きかたでしょう……。
私は恋に落ちました。彼の名前はミラレパです。
その日、昼食のあと、私は彼と山に散歩にでかけました。
私が洗濯場に戻ったのは、お茶の時間がとっくに過ぎてからのことです。
そしてそれから七年にわたり、私はかなわぬ夢を追いつづけたのでした。
ミラレパは、自由とはなにかを知っている人でした。
それは私が自分の内側に見いだしたいと願っていた資質なのですが、性的な引力に目がくらんでいた私は、自分の内側を見るのを忘れていました。
そこで私は長いあいだ、自分の外側にあるものを捕まえて、それを自分の内側のものにしようと、むなしく試みることになったのです。
そして彼は女性が大好きでした。それもたくさんの女性が好きでした。
おかげで私の意識の焦点は彼だけになってしまい、すっかりわれを失ったのです。
自分が強迫観念のようなものに取りつかれているのはわかるのですが、自分ではどうすることもできないのです。
なじみ深い山中の道を彼の家へと歩いて行く途中、泥や雪だらけの坂を登りながら、よく自分にささやいたものでした。
「こんなことをしてはいけない、彼に会いに行ってはいけない」
それでも私は、まるでトランス状態にあるように、そのまま道を歩いて行ったのです。
おかげで、つぎからつぎへと悲惨な場面に出くわしました。
私が恋をしていることをヴィヴェックから聞いたOshoは、ある日の講話でこう言いました。
「チェタナにボーイフレンドができた。
ミラレパ……偉大なるミラレパだ。
ミラレパは女殺しだ。
いつもいたるところで女を殺している。
それなのに私はまだ、
ミラレパとはだれなのかわかっていない」
それからOshoは
「私はドライブバイのたびにミラレパを探している。
そいつはなんという女殺しだ」
というようなことを言って、みんなを笑わせました。
Oshoはそれがどんな男性なのか見たかったのですが、
ずっと彼を見つけられなかったそうです。
「このミラレパというのは何者だね?」とOshoは言いました。
「彼はまちがいなくバイロン卿のような男なのだろう。
これだけたくさんの女たちを連れだしながら、
そのひとりとして気分を害さないのだから。
誰も彼を所有できないということを
女たちはみんな認めている」
「Oshoと過ごしたダイヤモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)