OSHOが私たちの前に姿を現し、ブッダホールで沈黙のなかで私たちとともに座るようになっていたころ、OSHOの身体はますますもろく、壊れやすくなっていきました。
そして、人が死ぬときにしか見えないという「オーム」というサンスクリット文字が、OSHOの目の前に見えるようになったというのです。
シュンニョは語ります。
“8月の終わり、OSHOは耳の痛みを訴えるようになり、結局 、親不知を抜くことになりましたが、 抜歯の傷は、なかなか癒えませんでした。
何度にもわたる歯科セッションがくりかえされ、そして、そうしたセッションのたびに、OSHOは自分の身体が今にも壊れそうな状態にあることを強調しました。
「私が地上に降ろした根は、だめになりつつある」と言うのです。
8月20日のセッションで、彼はこう言いました。
「これはほんとうに不思議なことだ。
オームの文字が目の前に見える。
オームの文字は死ぬときにしか見えないのだが」
セッションが終わったあと、彼は身を起こし、そのオームというサンスクリット文字をアナンドのノートに描き、私たちに見せました。
8月29日「青い色をしたオームの文字が、いつも私の目の前に見える」と、彼は言いました。この日のセッションを私はよく覚えていますが、彼の言うことは、あまりにも空想的で突拍子もないと、そのときの私は思ったものでした。
OSHOが間近に追った死について話すのを、どうして受け容れられるでしょう。私は思いました。「そんなはずはないわ。私たちを光明に導くための方便にすぎないわ」
OSHOはブッダホールに現れ、私たちとともに座っていました。
そのあいだ、音楽が演奏されてはやみ、音楽と音楽のあいだには沈黙があります。彼はこれを「ミーティング」と呼び、それにとても満足していました。
「私はとうとう私の人々にめぐりあったように感じている。 いまここにいる人々はとてもすばらしい」と、彼は何度も言いました。
「ミーティングはとてもすばらしい。みんなはとてもよく応えてくれている。
これほど大勢の人々に、これほどのレベルで働きかけた人はこれまでいなかった。
音楽も私の好むようなものになった。まさしく私が求めるようなものだ。
私にはあと2、3日あればいい。あと数週間ほしいなどとは言わない。
そして、あなた方はみんな、私が肉体に留まっていられるように助けてくれなければいけない」
これは、ある歯科セッションのあいだに彼が語ったことです。
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
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