私たちはマインドセットの世界に住んでいます。
マインドセットというのは、偏見や思い込み、信念などのことです。
私たちはそのマインドセットの色眼鏡を通して世界を見ています。
恋に出会った人はバラ色の世界を夢見ているでしょうし、うつで落ち込んでいるひとはこの世界が灰色に見えるでしょう。
この世界はひとそれぞれの色眼鏡で彩られています。
偏見がどれほど馬鹿げたことなのかということは、一度その偏見を受ける立場になってみるとよくわかります。
メディややニュース、ゴシップ、新聞、テレビなどは、鵜呑みにしてしまうと、まさにそれらの偏見だらけです。
そういうことに気をつけていないと、私たちもよく相手のことを知らないままに、色メガネで見てしまったり、偏見に基づいて判断してしまったりしてしまいます。
しかしその人の見る世界は、単にその人のマインドセットの世界を表しているにすぎません。
Oshoに対してどのようなニュースが流され、どのようなことが語られているかを知って、最初はそれらのことについて、あまりにも事実と食い違っているので驚いたり、あきれたりしましたが、今ではそれらのメディアやニュースの裏側が見えるので、ただ笑ってやり過ごすしかないということもわかるようになってきました。
物事をどのように見ているかは、それらの人々の考え方や偏見を表しているだけで、その人自身を表すものであっても、それは真実を表すものではないのです。
インドの世界では、今でもほとんどの結婚は親によって決められるそうですし、自由恋愛というのは思ったほど多くなかったりします。
日本でもついこの間まではそうでした。
それが1970年代のジョティがこの手記を書いている年代だと95%以上が親が決めた結婚で、男女の恋愛などは非常に限られていたのでしょう。
インドの社会は、反面非常に性が抑圧されている世界だというふうにOshoも語っていたのを聞いたことがあります。
そんななかでOshoは既存の宗教などでの性の抑圧などについて批判的な話を始め、西洋からのヒッピーの人たちもオレンジの服を着るようになっていて、Oshoは「セックス・グル」として知られるようにもなっていました。
そして、当時そのようなオレンジの服を着るようになっていたジョティたちは売春婦に見なされていた、というのだから驚きです。
これらなども、いかに人々が表面的なことでしか物事を見ないのかということがよくわかる事例ですが、それらをまともに相手にしても仕方がないわけで、深刻になっても仕方がありません。
「Oshoは楽しんで笑い、何事にも深刻にならないようにと私に言います。」
「そうやって遊びに満ちてさえいればいい、そうすれば問題はない」
この世界では、みんながマインドセットを持ち、マインドセットとマインドセットで争っています。
現在世界で起きている多くの争いや戦争なども、もとはといえばそれぞれの信念や思い込みによる争いです。
自分の信じている神だけが正しく、それぞれの信じ込みによって相手を裁き、批判しあっています。
でもひとそれぞれが自分のマインドセットに深刻にならず、遊びに満ちていれば、もっと平和で楽しい世界が開けてくるように思います。
それでは「一万人のブッダたちへの百話」より「遊びに満ちていること」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
「 Oshoはすでにウッドランド・ビルの新しいアパートに移っています。私は毎日のようにOshoに会いにいっては、ありとあらゆる出来事を話しています。
Oshoは楽しんで笑い、何事にも深刻にならないようにと私に言います。
Oshoに、ある日バス停の前で立っていると、目の前を通り過ぎるバスに乗っている学生たちが私に投げキッスを送ってよこしたときの話をしました。
並んでバスを待っている他の人びとから愚か者を見るような目つきで見られてしまい、非常にばつの悪い思いをしました。
Oshoは私に
「誰かに投げキッスを送られたら、
腕を広げて投げブレッシングを送り返せばいい。
他に何ができる? 」
と言いました。
少しずつ、このような出来事すべてに対して動じなくなりました。
すでにOshoの悪い噂が世間に広まっています。
Oshoは「セックス・グル」として知られ、私たちは売春婦に見なされています。
このころになると私の内側はとても強くなっていて、人からどのように思われても全く気になりません。
ある朝、列車に乗ろうとプラットホームで立っているところに、いわゆる紳士と言われているタイプの男性が近づいてきて、その夜を一緒に過ごさないかと誘いかけてきました。
私が「あら、ごめんなさい遅かったわね。もう先約があるの」とことばを返すと、男はそれを真に受けて「明日はどう?」と尋ねました。
私は「明日は決して来ない」と返しました。
男にはその意味が掴めずに、完璧にまごついてその場から立ち去りました。
Oshoにこの出来事を話しました。
Oshoは本当に楽しんで
「よくやった、ジョティ。
そうやって遊びに満ちてさえいればいい、
そうすれば問題はない」と言いました。」
今日はここまでにします。
えたに