父親や母親の役割は大きい

親は常に子供の幸せを願っています。 子供の幸せを願って、いい学校に進学し、いい会社に就職することを願い、医者になることを願い、そのためのありとあらゆることをしようとしているのですが、果たしてそれで子供が幸せになっているんでしょうか?

果たして、それは子供のためでしょうか? それとも自分の見栄のためなんでしょうか? もし、それで子供が幸せになっていないとしたら、何かが間違っています。 何が間違っているんでしょうか?

Oshoは次のように言います。

父親や母親の役割は大きい
彼らは新来の客を一一
何ひとつ知らないが
内側に何らかの可能性を秘めた客を
この世にもたらすからだ

その内なる可能性が成長しないかぎり
子供は不幸なままにとどまる

子供が不幸になることを望む親はいない
親は子供が幸福になることを望んでいる
ただ考え方が間違っているだけだ

親は子供が医者になれば
大学教授や技術者や科学者になれば
幸福になると思っている

彼らは理解していない
子供は本来自分がなるべきものに
なって初めて幸福になる

子供は自らの内側に持っている
種子になれるだけだ

ゴールド•ナゲッツ」 by Osho

子供は親の言うことを聞いて育つので、子供にはこのようなことはわかりません。
しかし、すでに大人になっているなら、親に責任をなすりつけるわけにはいきません。

その子供とは、自分のことです。
自分の「その内なる可能性が成長しないかぎり」不幸にとどまってしまいます。
もし、自分が幸せになりたいなら、その内なる可能性が成長する生き方をしなければならないでしょう。

「本来自分がなるべきものになって初めて幸福になる」なら、今、自分は本来なるべきものになっているかを自分に問わなければならないでしょう。
自らの内側に持っている種子を開花させているだろうか?

もし自分が幸福を感じられないなら、自分の内なる種子を開花させ、内なる可能性を成長させているかを自分に問う必要があるかもしれません。

自分が幸せになってこそ、自分の子供に対しても、幸せになる道を示して導くことができるでしょう。
もし自分が幸せになっていないなら、親としての子供への願いが、不幸への道を歩ませることになっていないかを問う必要があるかもしれません。 

今日はここまでにします。

えたに