「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」というスフィンクスの謎かけがあります。
ここでいうスフィンクスはエジプトのピラミッドの前に座っているのではなく、ギリシャのオイディプスの神話に登場する、フェキオン山に住んでいたスフィンクスです。
人間の女性の美しい顔、乳房のある胸と鷲の翼を持ち、高い知性を持ち、なぞ解きやゲームを好むみ、旅人を捕らえて謎を出し、答えられぬ者を食べていました。
テーバイでは多くのものがその謎を解こうとして挑戦しましたが、誰もその謎をとくことができず、スフィンクスに食べられていました。
その窮状を救おうとして、オイディプスはこの謎を解き、スフィンクスに言いいました。「 答えは人間である」と。 何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、 老いては杖をついて三つ足で歩くからです。
このなぞなぞでの「朝」「昼」「夜」は人間の一生を一日に例えた比喩的表現と解釈されました。 謎を解かれたスフィンクスは、アポロンの神託の予言通り、自ら城山より身を投じて死にました。
それでは、ここで、謎かけをひとつ。
「この世でもっとも簡単なことなのに、この世でもっとも難しいことはなんでしょう?」 Oshoの答えは、以下の通りです。
誰があなたに黙して坐ることを教える?
それはこの世でもっとも難しいことだ
何でも行なうことは簡単だ
だが、もっとも簡単なこと一一
黙して坐ること――
が何よりも難しいようだ
「ゴールド•ナゲッツ」 by Osho
「黙して坐る」というのは、ただ何もしないで坐ることなので、誰にでもできる簡単なことのように思えます。
しかし、マインド(頭)だけで生きていると、何かをすることは簡単だけれども、この忙しい現代生活の中で、何もしないでいることはけっこう難しいです。
何もせずにぼーっとしているときにも、頭の中では何かを考えています。
それでは「黙して」坐ることにはなりません。 「黙して」坐るとは、頭の中の活動も静止する必要があります。
しかし、マインドで生きていると「黙す」こと、「無心」でいることは、その性質上ほとんど不可能に近いことです。
なぜなら、マインドは常に何かをすることを考え、空想にふけったりして、常に何かを、あれやこれやを考えています。
マインドが頭の中での活動をやめて、「黙する」ことは、マインドにとっては死ねというに等しいことです。
ですから、いつもマインドの中で生きている人にとっては、「黙して坐る」ことはとても難しいことなのです。
しかしあなたが、マインド(頭)から離れて、ハートの中心に至るとき、「黙して坐る」ことはもっとも簡単なことになります。
今日はここまでにします。
えたに