完璧であろうとしてくよくよ悩むな

Oshoのスマートフォンのアプリに”No-Thought for the Day”というプログラムがあります。

毎朝7時に、Oshoの音声とOshoの言葉が届くのです。 今日はそこからお届けします。

完璧であろうとしてくよくよ悩まないように。
“totality”(完璧)という言葉を
”totality”(トータルであること)という
言葉に置き換えなさい。
自分が完璧でなければならない、
という言葉で考えないように。
自分はトータルでなければならない、
という言葉で考えなさい。
トータルであることが、
あなたに別の次元をもたらすだろう

Oshoの言葉を翻訳するのは、ちょっとした指針があります。

自分の解釈を入れないように、という指針です。
すでに翻訳というところで解釈が入り込むのですが、それを「日本語らしく」しようとすると、そこでふたたび解釈ないし表現の工夫が入り込みます。そこでまたもとの言葉から離れてしまいます。

本来翻訳というのは日本語らしく翻訳しなければならないのですが、Oshoの翻訳にあたっては、日本語らしくしようとするあまり、もとのOshoの言葉から離れないようにすることが大切になってくるのです。

というのは、Oshoの言葉というのはマインドからの言葉ではない、まさにno-thoughtからやってきているものなので、それを翻訳者の解釈(マインド)をいれてしまうと、Oshoの言葉が翻訳者の解釈とマインドにまみれたメッセージになってしまうからです。

私がOshoの「道元」を翻訳したときには、ナルタンからそのあたりを徹底的に指導されました。

というのは、例えばここで、

「自分が完璧でなければならない、という言葉で考えないように。」 と訳した部分がありますが、日本語にすれば 「自分が完璧でなければならないとは考えないように。」

ぐらいな言葉の方が自然ですが、あえて「という言葉で」というふうに訳してあるのは ”in terms that” という言葉があり、それは「〜の言葉で」『〜の見地から」という意味があるので、意味としては、「自分が完璧でなければならない、という見地で考えないように。」という意味になります。

しかし「言葉を入れ替える」という文が最初にあるし、人が考えるのは「言葉」で考えるので「完璧」という言葉(視点)で考えるのか「トータル」という言葉(視点)で考えるかの違いをOshoは語っているので、”in terms that” という言葉をそのまま残すとすれば、直訳調になるけれども、「という言葉で」というふうにOshoの言葉をそのまま残すのがわかりやすいかな、という考慮からです。

というわけで、ここでは書籍にするわけでもないので、できるだけOshoの言葉を生かす意味では直訳調をそのまま残すことになりますが、いつも悩まされるところです。

それこそ「完璧」にしようと思うがあまりに悩んでしまうところです。
でもOshoは「完璧」にしようと思わなくて良い。「トータル」でありなさい、というわけです。

では「トータル」ってなんでしょう? 

それについて解説すると長くなるので、今日は、今日のOshoの”No-Thought for the Day”の言葉だけをお伝えしておきます。

「トータル」については、また機会があるときに。

Have a nice day! 

えたに