なぜ過去生を知る必要があるのか?

過去生があるかないかという議論はさておいても、仮説として過去生があると仮定するのは意味があるように思います。

過去世がある、ということは来世もあるということです。

唯物論者で、「この物質がすべてで、この肉体がなくなれば全てがなくなる」ならいいですが、もし死んだ後、さらに続きがあったとしたら、ちょっと慌てふためくことになりそうです。

でも、Oshoがわざわざ過去生について語っているのには、理由があることです。

それは、スピリチュアルな成長の上で、個人が自分の過去生について知ることができれば、今生では以前に中断したところから探求を再開できるからです。

それによって、今生の探求において相当のエネルギーを節約できることになります。

Oshoは次のように語ります。

だから、わずかながら
私が自分の過去生について
話して聞かせたのは、
それになんらかの価値があるからでも、
あなた方に私のことを
知ってもらうためでもない。

この話をしたのは、
あなた方が自分自身をかえりみて、
自分の過去生を探ってみようと思いたてば、
という気持ちからにすぎない。

自分自身の過去生を知った瞬間、
そこにはスピリチュアルな
革命と進化が起こるだろう。

そうすれば、あなたは前回の生で
立ち止まった地点から
出発することができるのだ。

さもなければ、
無限の生の中で迷子になって、
どこにもたどり着くまい。

そこには繰り返しがあるばかりだろう。

Osho    Dimensions Beyond the Known 

9月になって、日が暮れるのが早くなりましたね。

もう夜はコオロギの声でいっぱいです。

1日があっという間です。

このように、あっという間に人生も過ぎ去ってしまいます。

今日の1日は、充実した1日でしたか?

生き長らえることはできても、
死という考えに打たれれば、
あなたは震え出す。

しかし、もし何にも執着がなければ、
死はこの瞬間に来ることもできるし、
あなたはそれを喜んで迎え入れるだろう。

あなたは完全に行く用意ができている。
そのような人の前では、
死は打ち負かされる。」

死について 41の答え」Osho

今日はここまでにします。

えたに