人が成熟するって、どういうことでしょうか?
何事にも、生まれ、成長し、成熟するプロセスがあります。
果実にも、青い果実、未熟な果実、成熟した果実があるように、
人間にも青二才から、未熟な人、成熟した人がいます。
それでは成熟した人ってどういう人なのでしょうか?
成熟というと、経験豊かで、熟練し、年配であるように思われます。
しかしOshoは、成熟は人生経験とは何の関わりもない、と語っています。
成熟した人の質は非常に風変わりだ
第一に、その人は人物ではない
その人は、もはや自己ではない
臨在はあるが人物ではない
第二に、成熟した人はむしろ子供に近い
純朴で無邪気だ
成熟した人の質は非常に風変わりだと私が言ったのはそのためだ
「成熟」ということばは
経験豊か、年配、老齢というような感覚を与えるからだ
肉体的には年老いているかもしれない
だが精神的には無邪気な子供だ
その成熟は
たんに人生経験だけからもたらされたものではない
それでは彼は子供にはならない
それでは彼は臨在していない
経験を積んだ人物にはなる
知識に溢れてはいるだろう
だが成熟はしていない
成熟するということは
人生経験とは何の関わりもない
それはあなたの内なる旅と内なる体験に関わりがある
「ゴールド・ナゲッツ」 by Osho
このOshoの成熟の定義によれば、もしその人が内なる旅と体験がなければ、成熟はあり得ないということになってしまいます。
「内なる旅」については、Oshoとともに内なる旅をした、ナルタンの本がとても参考になります。
ナルタンは日本人でもっとも早い時期にOshoと出会い、通訳としてOshoの身近で過ごした経験の持ち主です。
「インナーラビリンス」は、そのOshoのもとでの内なる旅を書いた物語です。