光と闇

Oshoの言葉

光と闇

光と闇は
一緒に存在することはできない

それらは、
共存することができないのだ

どうして光と闇は一緒に
存在することができないのだろう?

なぜなら、闇には
そのなかに実体がないからだ。

闇にはその中に「存在」がない

それは光の不在にほかならない、
どうして不在と存在が共存できる?

光がそこにあるのなら
不在は存在しえない。

不在が存在するなら
光がそこに存在することはできない。

気づきは、すべての問題に対する
唯一の解決策だ。
     Osho

光と闇。
存在と不在。

Oshoがここで言っているのは、

不在(闇)と戦う必要はない、
ということです。

なぜなら、不在(闇)は存在しないのですから。

何を当たり前のことを言っているのだと
言われそうですが、

私たちは往々にして、
不在(闇)と戦って、
疲れ果ててしまいます。

あるいは自分を傷つけています。

それはちょうど、地下室に入って
その闇を無くそうとして格闘するようなものだ、

とOshoは言います。

その闇の中では何も見えないので、
その闇と格闘している間に、
その地下室に置いてある家具や壁にぶつかって、
自分を傷つけてしまいます。

でも、その暗闇をなくすには、
電気をつければいいだけです。

そうすると、その暗闇は消えて、
そこに置いてある家具もみえるし、
壁がどこにあるかもわかります。

何も戦う必要はありません。
ただ、光をもたらせばいいだけです。

例えば、ネガティブな感情、
怒りなども、Oshoによれば、闇です。

そこに気づきをもたらせば、
その怒り(ネガティブな感情)は消える、
とOshoは言います。

これは、瞑想としてやってみればわかります。

怒りがある時には、
そこには瞑想(気づき)がない、
ということです。

そこに気づきをもたらせば、
怒りがなくなります。

この場合、怒り(闇)をなんとかしようとするのではなく、
その怒りに気づき(光)をもたらせばいいだけだ、

ということになります。

> 光がそこにあるのなら
> 不在は存在しえない。

> 不在が存在するなら
> 光がそこに存在することはできない。

> 気づきは、すべての問題に対する
> 唯一の解決策だ。

つまり、
気づきをもたらせば、
闇は消える。

その闇と戦う必要はない、
ということです。

自分が苦しんでいることや悩んでいること。
それが何かを見てみれば、
それは闇と戦っていることがほとんどです。

でも、そのことになかなか気づくことができないので、
私たちはその苦しみと戦って、
自分を傷つけてしまいます。

今日はここまでにします

えたに