愛プラス瞑想

Oshoの言葉

愛プラス瞑想

愛は、生の別名であり、
存在の別名であり、
神の別名である。

愛を非難しないように
たとえ、愛が
最も低いレベルにあるとしても、

なぜなら、非難することによって
あなたはそれを
変容することができなくなるからだ。

それをあるがままに受け入れなさい。
それを理解しようとしなさい。
その理解することの中で
愛が変わり始める
愛は情欲よりも高くなり始める。

理解がもっと成長するほどに、
愛はさらに高みへと舞い上がる。
愛は、理解の翼、
気づきの翼、
瞑想の翼に乗って
さらに高く舞い上がる。

愛と瞑想は、サニヤスに等しい。
ただあなたの愛を
もっともっと瞑想的にしなさい
愛がどの段階にあったとしても
そうすれば、
瞑想が愛を高めていくだろう。

瞑想だけではエネルギーがない。
愛だけでは、気づきがない。
その両方が、
ともに協力することが必要だ。

深い協力が
  Osho

愛と瞑想。

それは、私の長年のテーマでもあります。

でもここでOshoは

愛 and 瞑想と言わずに

愛 plus 瞑想と言っています。

その違いはなんでしょう?

ここでは、愛に重点があって、

その愛に、瞑想をもたらすことを言っています。

> 愛は、生の別名であり、
> 存在の別名であり、
> 神の別名である。

一口に愛と言っても、
愛にはいろんな側面、
いろんな理解、
いろんなレベルがあります。

人によって、愛に対する見方、
理解の程度、そのレベルが異なっています。

愛を非難しないように
たとえ、愛が
最も低いレベルにあるとしても、

もっとも低いレベルの愛とはなんでしょう?

セックスのことです。

セックスを非難しないように、
とOshoは言っています。

> それをあるがままに受け入れなさい。
> それを理解しようとしなさい。
> その理解することの中で
> 愛が変わり始める
> 愛は情欲よりも高くなり始める。

セックスを非難するのではなく、
それを変容させなさい、

ということを言っています。

避難してしまったら、
そこで変容する可能性がなくなってしまいます。

では、どうすればいいのか?

> それをあるがままに受け入れなさい。
> それを理解しようとしさい。

これがタントラの技法です。

> 理解がもっと成長するほどに、
> 愛はさらに高みへと舞い上がる。
> 愛は、理解の翼、
> 気づきの翼、
> 瞑想の翼に乗って
> さらに高く舞い上がる。

タントラが、
愛に対する理解の翼、
愛に対する気づきの翼、
愛に対する瞑想の翼をもたらしてくれます。

それが、愛 plus 瞑想ということの意味です。

> 瞑想だけではエネルギーがない。
> 愛だけでは、気づきがない。

瞑想だけではエネルギーがない、
という言い方は斬新です。

瞑想だけしていても、
それはジューシーではない、
エネルギッシュではないっていう感じがしますよね。

なんか、枯れてしまうような。

そこに愛があってこそ、
瞑想が生きてくる感じがします。

とりわけ若い時にはそうですね。
瞑想だけだとエネルギーを持て余すというか。

かといって、
そのエネルギーを愛だけに使うと、
最もレベルが低い愛だけになってしまいます。

> 愛だけでは、気づきがない。

ということになってしまいます。

そこでどうすれば良いのか?

その両方が、
ともに協力することが必要だ。

深い協力が

ということなのですね。

その深い協力をもたらすのが、
タントラの技法ということになります。

今日はここまでにします。

えたに